【仏教ブログ】父の日、浄土真宗で父に譬えられるのはお釈迦さま(その2)

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の続きです。

お釈迦さまが、父のように厳しく私に道を勧めて下さっていると言うことから、親鸞聖人は父に譬えて慈父とも呼ばれています。

具体的にそれが分かるのは、親鸞聖人が教行信証にも引用されている「二河白道の譬え」です。これは中国の善導大師の書かれたものです。

概要は以下のようになっています。

ある人が西に向かって無人の原野を進んでいくと、にわかに水火の二河に出会う。火の河は南にあり、水の河は北にあって、河の幅はそれぞれわずかに百歩ほどであるが、深くて底がなく、また南北に果てしなく続いている。二河の中間には一筋の白道があるが幅四、五寸ほどであり、水と火とが常に押し寄せている。そこに、群賊や悪獣がその人を殺そうと後ろから迫ってくる。その人は、行くも帰るも留まるも、どれ一つとして死を免れることができない(三定死)(浄土真宗辞典より)

そこで旅人は、どちらに向いても死ぬのであれば、むしろ西に向かって細い白道を進むことを決心します。そこで、東の岸に人が現れて旅人に勧める言葉が以下のものです。

東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く、〈きみただ決定してこの道を尋ねて行け、かならず死の難なけん。もし住まらばすなはち死せん〉と。(教行信証・信巻)

ひたすらこの道を進んでいきなさい。死ぬことは絶対に有りません。もし、そこに留まるならば貴方は死ぬぞと、大変厳しく白道を行きなさいと勧められています。

旅人の身からすれば、行くも死と思える白道ですが、「かならず死の難なけん」と力強く勧めておられます。この強く勧める東の岸の人は、お釈迦さまの教えを譬えられたものです。

お釈迦さまの教えとは、西の岸に譬えられた浄土へ往けと勧められるものです。私からすると、浄土と言われても見たこと行ったこともないところです。そこへ往きなさい、そうでなければ迷いを続けるぞと私に勧められます。道を間違う私を叱る厳しい父のような存在です。

この例え話では、東の岸の人の勧める声と同時に西の岸から喚ぶ声が聞こえてきます。西の岸からの喚び声とは阿弥陀仏の、そのまま来いよの南無阿弥陀仏の喚び声のことです。

押しゃ様のお勧めと、阿弥陀仏の喚ぶ声によって私は浄土に往生させていただくことができます。

「釈迦弥陀は慈悲の父母」と親鸞聖人が教えられるように、その二人の仏様のお働きによって信心を起こされ浄土に往生させていただけます。

下の画像は生成AIが考えた「ある人が西に向かって無人の原野を進んでいくと、にわかに水火の二河に出会う。火の河は南にあり、水の河は北にあって、河の幅はそれぞれわずかに百歩ほどであるが、深くて底がなく、また南北に果てしなく続いている。二河の中間には一筋の白道があるが幅四、五寸ほどであり、水と火とが常に押し寄せている。そこに、群賊や悪獣がその人を殺そうと後ろから迫ってくる。その人は、行くも帰るも留まるも、どれ一つとして死を免れることができない」です。

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Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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