【仏教ブログ】災害と浄土真宗について

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

2024年1月1日16時10分、石川県能登半島を震源とした令和六年能登半島地震は最大震度7を記録し、大きな被害を生み出しました。現在も多くの人が被災した後、苦しい生活を送っておられます。被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

まさか元旦早々にこんな地震に遭うというのは、能登半島の方でなくても考えてもいない事でした。次々と報道される被災地の様子を知るにつけ、日本全国いつ同じようなことが起きても不思議はない事が知らされます。

こんな時、浄土真宗の教えは私にとってどういうものと言えるのでしょうか?宗教というと、困った時の心の癒やしになるものだと思っている方も多いと思います。確かに、そういう面もありますが、浄土真宗は「癒やし」ではなく「救い」がある宗教です。

親鸞聖人の書かれたご和讃に以下のものがあります。

生死の苦海ほとりなし

 ひさしくしづめるわれらをば

 弥陀弘誓のふねのみぞ

 のせてかならずわたしける(高僧和讃)

生死の苦海とは、私たちが生死を繰り返してそこから離れられない様子をいわれたものです。苦しみの波が次から次へとやってきて、はてしがありません。今回の能登の地震でも、2023年の地震でなんとか被害に遭わなかった人でも今回被害に遭われた方が多くあります。

一難去ってもまた一難で、苦しみの海に長い間沈んでいるのが私の姿です。何も救いがないのが人生だと思っている人もおられると思います。

しかし、「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」といわれています。阿弥陀仏の弘誓の船だけが、私を苦しみの海から乗せて、必ず浄土へと渡して下さるのです。

阿弥陀仏という仏様は、生死の苦海で長く苦しんでいる私をご覧になって、そこから何とか救いたいと願われて、全ての人を救うというひろい誓いを建てられました。それを弘誓とも本願ともいいます。

その願いは、ただの願いではなく実際に私を救う働きとなって今働いておられます。それが「弥陀弘誓の船」といわれる南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏は、私をこの苦海から救って浄土へと必ず渡して下さる船なのです。

本当の意味で、救われたとは、この苦海を離れてもう迷わない身になる事です。浄土へ往生して仏にならせて頂くことです。それについて、どんなことが起きても変わらないのが浄土真宗の救いです。

以下の画像はAIが考えた

「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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