【仏教ブログ】言葉をないがしろにする時代 でも信ずる言葉とは

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回記事に書いた、長田弘さんの「最初の質問」から、もう一つ紹介したいところがあります。

詩の最後はこう結ばれています。


いちばんしたいことは何ですか。

人生の材料は何だと思いますか。

あなたにとって、あるいはあなたの知らない人々にとって、

幸福って何だと思いますか。

時代は言葉をないがしろにしている。

あなたは言葉を信じていますか。

小学生の頃は、書き初めでいろいろと明るい言葉を書いていました。また、卒業アルバムには将来の夢を書いたものです。しかし、社会人となり、いろいろと「しなければならないこと」が増えてくると、「したいこと」が後回しになってしまいます。

忙しい日々を送っている時は、時間がとれたらあれがしたい、これがしたいと考えます。「ゆっくり休みたい」「趣味に没頭したい」「部屋の掃除をしたい」など人それぞれあります。しかし、「いちばんしたいことは何ですか」と問われたらどうでしょうか?それはそのまま「幸福って何だと思いますか」の問いと直結した問題です。

時代によって「これが幸福だ」とするものは色々と移り変わってきました。戦後は経済的豊かさが人間の幸福だと多くの人が思っている時期が暫く続きました。しかし、日本全体の経済成長が停滞してくると、それほど多くの人に信じられないこととなってきました。

では、「いちばんしたいこと」をすればよいのではないかと考えても、その「いちばんしたいこと」が自分でも分かり難いのが現代です。その原因の一つはインターネットとスマートフォンの普及により個人が接する情報量が爆発的に増えたことにあります。

文字や音声で言葉があふれ返り、いろいろな意見や情報に触れると一体自分にとって何が大事な事かが分からなくなってきます。まさに「時代は言葉をないがしろにしている」という状態でしょう。

こんな時代だからこそ、本当の言葉を聞かねばならないのではないでしょうか。浄土真宗で本当の言葉とは、南無阿弥陀仏のことです。親鸞聖人は、それを「摂取不捨の真言」ともいわれ、主著である「教行証文類」の冒頭にこう書かれています。

誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。(教行証文類総序)

誠であったと言われるのは、私を摂め取って決して捨てない真実の言葉である南無阿弥陀仏のことをいわれています。それはこの世を超えて二つと無いまことの法である阿弥陀仏の本願のことでありますから、それをそのまま聞いてあれこれ計らってはならないと教えられています。南無阿弥陀仏が、私が本当にしたい迷いを離れて、さとりを開く身に救って下さいます。それは、阿弥陀仏が私に先立って願われたことでもあります。

この南無阿弥陀仏の念仏も、あふれ返る言葉の中でないがしろにされようとしています。貴方はこの南無阿弥陀仏を摂取不捨の真言と信じていますか。いろんな言葉はありますが、真実の言葉はこの南無阿弥陀仏です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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