【仏教ブログ】大雪の日々に「雪中章(御文章1帖目5通)」を思う
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
今年は、昨年よりも大雪に見舞われて各地で被害が発生しています。
雪の多い地域は、毎日の雪かきで体力を奪われている方も多いかと思います。大雪の日は、不要不急の外出は避けるというのが今日の私たちの生活です。外出して思わぬケガや事故に遇わない為にはそれがよいことだと思います。
雪を目にすると思い出すのが、蓮如上人の書かれた御文章1帖目5通に「雪の中」といわれるものがあります。福井県の吉崎御坊に蓮如上人がおられたころ、文明五年二月八日に書かれたものです。
当時は、吉崎御坊に富山県、石川県からも歩いて参詣される人が多くおられました。
それらの人に対してこう書かれています。
幸ひに五里・十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかやうにこころえられたる心中ぞや。千万心もとなき次第なり。(御文章1帖目5通 雪中章)
遠路を雪の中やってこられた方々の心の中はどういうものなのか、とても心もとないといわれています。
なぜこのようにいわれるのかといえば、この文章の直前にはこのように書かれています。
この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをもえたる人これなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや。一大事といふはこれなり。(同)
他力の信心を獲ていないものは、報土往生(浄土往生)を遂げることはできない。ことのことを一大事といわれています。
信心を獲て浄土往生の身となることが、一大事です。ですから、そうならないのは別の意味で一大事だといわれています。その一大事をもっていることを、雪の中に足を運んで吉崎まで参詣している人は本当に心得ているのだろうかといわれています。
この大雪による被害も多く出ています。それらももちろん大事なことです。しかし、一大事とは他力の信心を獲て浄土往生をする身となって、浄土往生をさせていただき仏となることです。
かつて雪の中を歩いて、その一大事のために参詣されたお同行がおられました。今の私も同じく一大事を持っていることを知っていただきたいと思います。
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※上の画像は生成AIが考えた-「豪雪の中、吉崎御坊(福井県)の御正忌報恩講に越中(富山県)から駆け付けた人とお内仏の阿弥陀如来」-です
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。


