【仏教ブログ】年の初めに願うこと
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
1年の計は元旦にありという言葉があるように、年の初めに「今年はこんな年にしよう」と思う人も多いかと思います。また、年賀状でそういう文面を目にすることもあります。
しかし、「こうなりたい」も高じると「こうならねばならない」となり、それがかえって自分を窮屈にしてしまうことがあります。この時期ですと、受験生でそのような人も多いかと思います。希望する学校を目指しているだけならば、それを目標に頑張ることもできます。しかし、「その学校に行かねばならない」「そうならなければ人生が終わってしまう」とまで考えるようになっては、受験そのものも苦しいものになってしまいます。
願ったとおりになればうれしいですが、願ったとおりにならないことの方が多いのではないでしょうか。しかも、私たちの願いはすべて願った通りになるものではありません。
私たちが願うもののなかで一番大きなものは、死にたくないというものです。次に来るのが、年老いたくないといったところでしょうか。最近の医学の分野では、不老または若返りへの研究が進んでいるとのことですが、それも人間の大きな願いの一つだと思います。それでも、なるべく健康に長く生きたいと願っても、どうしても限度はあるので必ず死なねばならないのが人間です。
どの道死ぬことはどうにもならないからと、生きている間は花も実もある人生をと願うのが人間ではないでしょうか。そんな私に向かって、阿弥陀仏はそのどうにもならないことを願われて、浄土を建立され「我が浄土に生まれよ」という願いを建てられました。それを阿弥陀仏の本願といいます。
そのことを蓮如上人は御文章にこのように書かれています。
これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり。信心決定してまゐるべきは安養の浄土なりとおもふべきなり。(御文章1帖目11通・電光朝露・死出の山路)
自分の願いを叶えることも大事ですが、願うべきは後生であり、あてたよりにすべきなのは自分ではなく阿弥陀如来です。
お浄土参りをさせていただける身となる年にいたしましょう。

※上の画像は生成AIが考えた-「模試の結果に将来を悲観する受験生とそれを見守る阿弥陀如来」-です
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。


