光顔寺の歴史
光顔寺は1181年に石動山天平寺(現・石川県鹿島郡中能登町)に創建された「養谷堂」に始まります。
当初は権中納言藤原家通と共に石動山天平寺を勅願寺にするため赴任した勅願寺・仁和寺(現・京都市右京区御堂)の僧・養谷の坊舎でありました。その坊舎はいつしか地域一帯に信仰をあつめ真言宗の道場となり、室町時代には本願寺第八代住職の蓮如上人の教化によって浄土真宗に帰依しました。
1471年には越中の浄土真宗布教の拠点として、土山御坊(現・南砺市福光土山)の開創に尽力し、蓮如の子孫が代々住職を、養谷堂の僧が代々家老を勤めました。その後、土山御坊への寺号下附を朝廷に働きかけ、1517年には佐渡にあって廃絶していた順徳条項勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続して、勝興寺(現・富山県高岡市伏木古国府)と称し、併せて「光顔寺」の寺号も下附されました。
その後、戦国の騒乱期を経て、江戸時代前期に創建された伽藍が現在の光顔寺です。





明治以降も信仰をあつめ、申義学校の建設(現・石動小学校)や加越線敷設(廃線、石動駅~福野駅)の中心となりました。現在も富山県小矢部市の中心にある寺院として、様々な法要やイベントなどを通じ、地域の人々に親しまれています。
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