【仏教ブログ】ひな祭りに思う。親の願いと仏の願い。
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
3月3日はひな祭りです。ひな人形を飾り、子供の健やかな成長を願う日です。両親や祖父母の願いが、ひな人形を飾る時にこめられています。
私の家も、小さい頃は姉と妹のためにひな人形を毎年飾っていました。親の願いが通じたのか、現在のところ私の姉妹は無事に生活をしています。このように、親は子の幸せを願うものです。また祖父母は孫の幸せを願っています。
しかし、その親や祖父母にあたる人をも含めて私を苦しみから離れさせたい、楽を与えたいと願われているのが阿弥陀仏です。阿弥陀仏の本願とは、すべての命のあるものにかけられた願いです。
親が子供の幸福を願うのは、また小さい子供は自分一人の力では生きていくことができないからです。同じように、阿弥陀仏が私に慈悲の願いをかけられるのは、自分自身の力でどうにもならない状態にあるからです。
そのどうにもならないこととは、自分の力では迷いを離れることができない存在ということです。それほどのものが私であると歎異抄には以下のように書かれています。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ(歎異抄・後序)
阿弥陀仏の願いは、五劫思惟の願ともいわれます。それは五劫という途方もない長い時間をかけて考えた上で建てられた願いです。その願いがなぜそれほど長期間の時間を必要としたのかといえば、それはひとえに親鸞一人のためでした。それほどの業をもった私を助けようと思われた本願のかたじけなさを書かれています。
ひな祭りを縁として、私を救うために大きな願いを建てられていることを考えてみたいと思います。その願いはただの願いではなく、現在に私を救う為に働く働きとなってあらわれて下さっています。それが南無阿弥陀仏のお念仏です。

※上の画像は生成AIが考えた-「ひな祭りに子供の幸せを願う家族とひとりひとりの後生を願う阿弥陀如来」-です
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

