【仏教ブログ】水不足と法雨について
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
8月に入り暑さと共に水不足が心配されています。新潟県では、7月の降雨量が例年の4%だったとのことです。既に、ダムの水位が下がり、農業用水も不足して農作物に被害も出始めています。また、生活用水が不足している地域では給水所まで水を求めて通う人たちもおられます。
少し前まで米不足が、多くの人の関心事でしたが、今度は水不足が問題になっています。米不足も問題ですが、米以外の食べ物がある場合は、なんとか代用することもできます。しかし、水に関しては変わるものが無い上に、作物にも、私たちの飲み水や生活用水など大きく影響をします。
日頃は、それほど意識をしていないのは、日本人にとって水はあって当たり前のもののように考えていたからです。しかし、一度水が不足するとこれほど困るものは有りません。電気がなくても生きていくことはできますが、水なしでは3日間を過ぎると命が危険な状態になります。
私たちの肉体は水が無ければ死んでしまいますが、肉体さえ生きていればそれでよいというものではありません。昔に比べて、物質も情報も大変多くあるのが現代社会です。平均寿命も延びましたが、私達の心は仏様から見れば、乾いて枯れた地面のようなものです。実際、昔に比べて心の中も豊かになったわけでは有りません。むしろ、モノや情報が豊かになるほど、心は貧しくなっているのではないでしょうか。
仏様は、私達に法の雨を濯いでくださるのだということが、大無量寿経にこのように説かれています。
法雨を澍ぎ(そそぎ)、法施を演ぶ(のぶ)(仏説無量寿経)
法とは、真実ということです。真実が分からず、迷っている私の心に法の雨を濯いでくださいます。その法の雨とは、法施といわれて、法の言葉となってお釈迦さまが私達に説かれた教えのことです。
浄土真宗では、その法とはすべての人を救って下さる阿弥陀仏の本願であり、南無阿弥陀仏のことです。お釈迦さまは、その法雨として、阿弥陀仏の本願・南無阿弥陀仏を私達に仏説無量寿経に説いて下さいました。その法を聞いて、救われるのが浄土真宗の救いです。乾いた地面は水でなければ潤せないように、私の迷いも法雨によらねば救われることは有りません。

※上の画像は生成AIが考えた「身も心も渇き水を奪い合う人々と阿弥陀如来の法雨によって今救われている人々」です。
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。