【仏教ブログ】防災の日と安心

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

9月1日は「防災の日」です。大正12年の関東大震災に由来し、自然災害への備えを忘れぬよう制定されました。今年は猛暑に加えて、各地で大雨による被害も出ています。地震に限らず、いろんな災害に備える必要が有ります。

8月は、九州や各地で水害に見舞われました。温暖化の影響で、「前例のない大雨」による被害を受けました。それらの災害を見聞きするたびに、自然の力の前には人間の営みというのはいかに無力なものか知らされます。

もちろん、災害に備えることは大事なことです。ただどれだけ備えても、本当の意味で安心することはできません。大きな自然災害は、いつも「前例のない」「想定外」のものだからです。

歎異抄には、親鸞聖人の言葉としてこのように言われています。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします(歎異抄)

火宅無常の世界と言われるように、あらゆるものがいつまでも続かないので火のついた家にいるように安心のない世界です。そこに生きる私も、煩悩具足の凡夫ですから、まことというものはありません。ただ念仏のみがまことであると言われています。

ここでいわれる「念仏」とは、「南無阿弥陀仏」のことです。阿弥陀仏が、私を含めて全ての人を救うという本願を建てられました。浄土を建立されて、そこへ往生せよと呼びかける声が、いま私の口から出てくださる南無阿弥陀仏の念仏です。

この念仏が、ただ一つのまことであると言われます。変わり続けの世の中で、ただ念仏のみが、私を変わらず救い続けるお働きです。

災害に備え、非常食や避難経路を確認することも大事ですが、同時にまことの言葉に耳を傾けて頂きたいと思います。どんな災害によっても、崩れることも変わることもないのが、たた念仏のみぞまことという信心です。浄土真宗の信心は、安心(あんじん)とも言います。本当の意味での安心を聞いて下さい。


※上の画像は生成AIが考えた「自らが引き起こした地球温暖化により線状降水帯が発生し、冠水した都市で避難する人々と人々を慈悲で照らす阿弥陀如来」です。

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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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