【仏教ブログ】アンパンマンと阿弥陀仏(2)

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

NHK朝の連続テレビ小説「あんぱん」が、2025年09月26日で最終回を迎えました。

ドラマの中で話題となったのが、テレビアニメ「アンパンマン」の主題歌が、最初にやなせたかし先生が作ったものから、変更されていたという点です。

複数ありますが、その一つを紹介します。

現在サビの部分は「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ胸の傷がいたんでも ああ アンパンマン やさしい 君は いけ! みんなの夢まもるため」となっています。

これは、テレビ放送にあたって修正されたものです。修正前のものは以下になります。

「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ いのちが終るとしても ああ アンパンマン やさしい 君は いけ!悲しみを消すために」

「いのちが終わるとしても」「悲しみを消すために」の箇所は子供向けアニメとしてはふさわしくないとスタッフから修正をお願いされたそうです。

元の歌詞の方は、阿弥陀仏と共通するところがあると思います。

阿弥陀仏は、法蔵菩薩であった時に苦しむものを救う為に願いを建てられました。

その時の決意を、大無量寿経にはこのように説かれています。

たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが行、精進にして、忍びてつひに悔いじ

【現代語訳】

たとえどんな苦難にこの身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、修行に励んで決して悔いることはない。

自身の問題のためではなく、衆生を救う為に、どんな苦難に身を沈めても、決して悔いることはないといわれています。

アンパンマンの歌詞の、「いのちが終わるとしても」「悲しみを消す為に」行くというのが共通しています。

アンパンマンの頭のあんパンは、お腹を空かせて苦しんでいる人のために作られています。

阿弥陀仏という仏は、私を救う為に仏になられた仏です。

それなのに、南無阿弥陀仏と念仏もうしていても、迷いから離れられない理由をこのように書かれています。

如来はこれ実相の身なり、これ物のための身なりと知らざるなり。(教行信証・信巻)

【現代語訳】

それは、如来が真如実相をさとられた自利成就の仏であるとともに、そのままが衆生をお救いくださる利他成就の仏であることを知らないことをいうのである。

この「物のための身」というのは、私を救うための仏の身ということです。私が助けて欲しいと要請をしたから出て下された仏ではなく、仏の方から私を救うために仏になられたということです。

一人の人を救うというのは、本当に大変なことです。「いのちが終わるとしても」という大慈悲で願いを建てられたのが阿弥陀仏です。

その阿弥陀仏から私に差し向けられた南無阿弥陀仏を、称えそのまま私を救うお喚び声と聞いてください。


※上の画像は生成AIが考えた「真如実相をさとられた自利成就の仏であるとともに、そのままが衆生をお救いくださる利他成就の仏である阿弥陀仏」です。

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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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