【仏教ブログ】災害と飢饉の時に書かれた親鸞聖人のお手紙

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

今回の令和六年能登半島震災も大変な被害でしたが、親鸞聖人の時代は、それに加えて飢饉や疫病で多くの方が亡くなっていきました。

親鸞聖人の書かれたお手紙にも、その頃に書かれたものが残っています。文応元年(1260年)に書かれた手紙は、その前年から飢饉や疫病が続き多くの方が亡くなりました。飢饉という事は、多くの方が餓死されたと言う事です。その多くの人が苦しみながら死んでいく有り様をお弟子が手紙に書かれたのでしょう。それに対するお返事が以下のものです。

なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。(略)まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。(親鸞聖人御消息16)

なんと言っても、去年から今年にかけて多くの方が亡くなったという事は悲しい事であります。

それらの人の臨終の様子について手紙で書いて頂きました。苦しみながら亡くなった方はどうなったのだろうかと思う人も有る事だと思います。まず、親鸞自身は臨終の善し悪しを問題には致しません。信心決定の人は、阿弥陀仏の本願に対する疑いがありませんから、必ず浄土に往生して仏になる身に定まるのです。だから、愚かな人も、智慧のない人も臨終をめでたく全うすることができるのです。

苦しみながら亡くなる人をまの当たりにして、お弟子も何か思うところがあったのだと思います。当時は臨終来迎を信じている人も多かったので、日ごろ念仏していた人に来迎が表れなかった事を不審に思った人もあったと思います。私たちも同じ場面に出会ったならば、飢え死にしていく人の後生に対して何か祈るような気持ちも出てくる人もあるかと思います。また心配する人もあると思います。

しかし、阿弥陀仏の救いは、臨終の善悪を問題にしません。念仏の救いとは、臨終になって初めて救われるというものではありません。また、苦しくなってから祈る気持ちで念仏することで救われるというものでもありません。生きている間に、信心決定という身に救われることを言います。

南無阿弥陀仏の念仏は、ただ今助けるの阿弥陀仏のお働きそのものです。心の支えとしてでなく、必ず救うのお喚び声として南無阿弥陀仏を聞いて疑いない身になって頂きたいと思います。

以下の画像はAIが考えた

文応元年(1260年)の前年から飢饉や疫病が続き多くの方が亡くなった状況を

弟子が手紙で伝え、その返信を親鸞聖人が書く様子」です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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