【仏教ブログ】どうする家康 「大坂の陣」から石山御坊について

光顔寺明照廟堂・水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ最終回に差し掛かってきました。12月3日放送回は(46)大坂の陣となっています。大坂城を舞台とした大坂冬の陣と夏の陣まで描かれる予定のようです。

大坂冬の陣図屏風 – 東京国立博物館 画像検索東京国立博物館 研究情報アーカイブズ

浄土真宗にとってこの大坂城はゆかりのある場所です。元々蓮如上人の時代・明応5年(1496年)に石山御坊を建てられました。これが後の石山本願寺となり、その周りに寺内町がつくられました。これが現在に繋がる大阪の町の源流となっています。石山戦争の後、跡地に豊臣秀吉によって建設されたのが大坂城です。

今回の大河ドラマでは「戦なき世をつくる為」という事で、徳川家康が天下統一するまでが描かれています。戦国時代ですから、戦なき世を作る為にまた、戦を続けました。大坂の陣の舞台となった大阪城も、敵に攻め落とされない為の戦争の為につくられたのものです。

ただ、蓮如上人が石山御坊を建てられた目的はどういうものであったのか。御文章4帖目15通に書かれています。

それについて、この在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯をこころやすく過し、栄華栄耀をこのみ、また花鳥風月にもこころをよせず、あはれ無上菩提のためには信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をも申さん輩も出来せしむるやうにもあれかしと、おもふ一念のこころざしをはこぶばかりなり。

この大坂に石山御坊を作り居住しているのは、一生涯楽をして、色々な趣味に打ち込んで過ごす為ではありません。仏のさとりを開く為に、信心決定する人が一人でも多く現れ、念仏申す人も出てこられるようにという思い一つであると言われています。

徳川家康は、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼして、江戸幕府260年の基礎を築きました。それも大変なことです。しかし、浄土往生定まる身となった信心決定の人が一人でも多く現れ、念仏する人が出てくださるということは、また大変なことです。それこそが、繁昌であると言われています。

江戸幕府は今は有りませんが、かつての石山本願寺から受け継がれた念仏は今日の私たちにも届けられています。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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