【仏教ブログ】長田弘の「最初の質問」で考える新年の抱負とは?

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

年も変わり新年となりました。昨年いろいろあった人も心も新たに一年をスタートしたい所です。

新年という事で、よく引用される詩に長田弘さんの「最初の質問」があります。長田弘さんは、2015年に亡くなられています。NHKの「視点・論点」で17年間に渡って評論もされていました。

「最初の質問」の中にこんな一節があります。

夜明け前に鳴き交わす鳥の声を聴いたことがありますか。

ゆっくりと暮れていく西の空に祈ったことがありますか。

何歳の時の自分が好きですか。

上手に年を取ることができると思いますか。

日ごろ忙しく過ごしていると、夜明けの鳥の声や、夕日が沈む空に気がつかないまま一日、一日とすごしてしまいます。やがて新年を迎えます。年が明けたという事は、また年を取ったという事です。「何歳の時の自分が好きですか。」と問いかけられた時、貴方はどう答えられるでしょうか?一番好きな自分が過去の自分だった場合は、今後上手に年を取ることが出来なくなってしまいます。なぜなら、どんなに上手に年を取ったとしても、必ず右肩下がりの人生になってしまうからです。

確かに体力面でいえば、十代の頃のようになる事はありません。あちこち痛みや不具合も出てきます。年を取る事もまた、有り難いと言えなければ上手に年を取ったとはいえないでしょう。

では、年を取る事も有り難いとはいわれる方はあるでしょうか?

親鸞聖人のお手紙に以下のものがあります。

この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。(末灯鈔12)

晩年に書かれたお手紙ですが、自分の命が尽きたならば、浄土に先に往生させていただくのだと仰っています。必ずやって来る自分の死も浄土往生させていただくご縁となるので、生きる事も有り難いが、死ぬ事もまた有り難いことなのだといわれています。

その意味で、年を取る事は有り難い事だといわれた御同行もおられます。そういわれる方は、上手に年を取られていると言えるのではないでしょうか。今年も有り難い年であったと言えるようになりましょう。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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