【仏教ブログ】蓮の花について・泥沼に咲く信心
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
7月は蓮の花が見ごろの時期です。蓮の花は、6月から9月ごろが開花時期で、7月中旬から8月中旬ごろが見ごろと言われています。
仏教では、淤泥華(おでいけ)とも呼ばれます。それは、泥の中から出てくるその花や葉っぱが泥に染まらないところが、仏や仏性の清浄性に譬えられています。そのため、仏像や仏画では多くの仏や菩薩は蓮台をその座としておられます。
浄土真宗では、他力の信心は煩悩しかない私の心の上に起こることの譬えとして使われています。
卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず(教行信証・証文類より)
卑湿(ひしゅう)の淤泥(おでい)とは、蓮の花が咲くような湿った泥沼のような場所です。これは、私たちの煩悩を譬えたものです。
煩悩とは文字通り、私を煩わせ、悩ませる心の動きを総称して言われたものです。ものです。
代表的なものとして、貪欲(とんよく)があります。貪愛(とんない)とも言われ、貪る我欲のことです。自分の好む対象に向かって貪り求める心を言います。
最近は、何かに熱中することを「沼」と言われています。NHKのEテレの番組にも「沼にハマって聞いてみた」というのがあるくらいです。
この番組では、「沼」というのは自分の好きなものに際限なく熱中している様子を指しています。
何かに熱中することはプラスの面もあります。しかし、対象や状況によってはこの沼にハマることによって、自分を苦しめることもあります。他人と競争して他人に勝りたい競争沼や、恋愛に苦しむ恋愛沼などは昔からあります。また、遺産の相続争いなどは、ドロドロの相続争いなどと表現されてきました。そのような沼は、一度はまりこむと自分でどうしようもなくなって、自分を苦しめてしまいます。
抜けたくても抜けられない沼のように、貪欲という煩悩は自分で無くそうとしても無くすことができないものです。
そんな沼のような煩悩しかない私の心に、清浄な蓮に譬えられる信心の華が咲くのだと親鸞聖人は教えられています。
※参照
※下の画像は生成AIが考えた「ドロドロの相続争い」です。
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。