【仏教ブログ】父の日、浄土真宗で父に譬えられるのはお釈迦さま

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

6月の第3日曜日は父の日です。これは、1909年にアメリカで母の日と同様に父親にも感謝する日が必要だとの考えで提唱されたのが始まりです。1972年にアメリカでは国民の祝日として正式に制定されました。

日本では、1981年に日本ファーザーズ・デイ委員会が設立されてから認知度が高まってきました。

とは言え、母の日に比べると父の日は影が薄いように思います。口うるさい父親は、とかく子供から煙たがられる場合も多いからかも知れません。

浄土真宗では、阿弥陀如来は「悲母」とも言われて母親に譬えられています。それに対して、父に譬えられているのはお釈迦さまです。

釈迦・弥陀は慈悲の父母

 種々に善巧方便し

 われらが無上の信心を

 発起せしめたまひけり(高僧和讃)

お釈迦さまは慈父、阿弥陀仏は悲母と言われています。それぞれが、いろいろな手だてをもって、私の上に無上の信心を起こして下さるのだと言われています。

では、なぜお釈迦さまが父で、阿弥陀仏が母に例えられるのでしょうか。それは、それぞれの役割が違うからです。

別の言い方では、お釈迦さまは「教主」教えの主と言われます。それに対して阿弥陀仏は「救主」救いの主と言われます。

お釈迦さまは、「阿弥陀仏が救ってくださる仏である」と私たちに教え、勧めていかれる方です。それに対して、阿弥陀仏は実際に私を救ってくださる仏様です。言い方を変えると、勧める仏と迎えとる仏という形になります。

今の私に向かって、救いの道はこちらであると道を示して勧めていかれるのですから、勧められる側からすると、厳しく感じることもあると思います。

丁度親子関係でも、以前は「カミナリ親父」と言う言葉が有りましたように、子供に厳しく当たり、時にはカミナリを落とすのは父親でした。父親が厳しく叱るのも子供の為を思えばこそです。もちろん最近では、児童虐待などの問題もあり手を上げるような人も少なくなり父親の立場も変化して来ました。

今のままでは迷いを果てしなく続けていくことを知り、私に向かって今の延長ではどこにも行けないぞと、厳しく叱り、浄土への道を進めて下さる厳しい父のような方が、お釈迦さまです。

「親の意見と冷や酒は後で効く」という言葉もありますが、お釈迦さまはこの娑婆に留まらず、浄土へ往きなさいと勧めておられます。それが身にしみたときに、手遅れとならないように、お釈迦さまのお勧めを聞いて頂きたいと思います。

下の画像は生成AIが考えた「浄土への道を進めて下さる厳しい父のようなお釈迦様」です。

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Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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