【仏教ブログ】逃れがたきは無常なり・エンディングノートを書く前に
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
前回の記事で、防災の日を通して自然災害に備えることも大事ですが、必ず死なねばならない問題について仏教が教えられていることを書きました。
必ず死ぬという問題は、誰もが認識しています。では、それに対してどう備えるのかということで、今売れている本が「一番わかりやすいエンディングノート」です。現在12万部を突破しています。
この本は、「3000人の終活セミナー受講者の声をもとに、初めてでもすぐに書ける『一番わかりやすい』エンディングノートを作りました」というものです。(出版社サイトより)一番わかりやすい エンディングノート | リベラル社 (liberalsya.com)
内容は、「人生の振り返り」「認知症・介護」「医療」「葬儀・お墓」「財産・相続」についてそれぞれ書かれています。
これらのことが気になることはよく分かります。しかし、これは「私が死んでいく問題」ではなく、「私が死んだ後始末」についての問題です。それは、自然災害における「防災」ではなく、災害が起きた後の「復旧や復興」の話です。
例えると、地震が来るというのに、避難場所や防災の備えを考えず、家が倒壊した後や、自分が死んだ際にどういう手順で後始末をするかを考えているようなものです。
仏教は、この生まれたら必ず死なねばならないという問題から、出て離れることを教えられています。それを出離生死といわれます。しかし、「出離生死」や「仏教」と聞くと、出家しなければならないのかと思われる方もあると思いますが、それについては続けてこのように書かれています。
たまたま仏法にあふことを得たりといふとも、自力修行の門は、末代なれば、今の時は出離生死のみちはかなひがたきあひだ、弥陀如来の本願にあひたてまつらずはいたづらごとなり。(同)
出家して修行によって「出離生死」をすることは、今の時代では難しいことです。だから、阿弥陀如来の本願によらねばそれは叶わないことだと教えられています。
このゆゑに、ただねがふべきは極楽浄土、ただたのむべきは弥陀如来、これによりて信心決定して念仏申すべきなり。(同)
阿弥陀仏の本願は、私を極楽浄土に往生させ、仏にしてみせると願っておられます。この本願を疑いなく聞き入れることを信心決定といいます。そこで、信心決定して念仏申しなさいと勧めておられます。
私が無常な存在であると知った時、エンディングノートは信心決定して念仏申す身になってから書かれたらいいと思います。
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下の画像は生成AIが考えた「ただねがふべきは極楽浄土、ただたのむべきは弥陀如来」です。
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。