【仏教ブログ】~祖母の死に思う~盛者必衰会者定離。
光顔寺納骨堂のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
先日、祖母が96歳で亡くなりました。死因は老衰でした。8年前より特別養護老人ホームに入り、特別な病気もなく元気だった祖母でしたが、いわゆる寄る年波には勝てずに亡くなりました。今回の祖母の死を縁として改めて知らされたのは、特別な病気や事故に遭わなくても人は必ず死ぬということでした。
老衰の症状というのは人によって異なる点もあると思いますが、私の祖母の場合は徐々に食べ物を受け付けなくなり、やがてほとんど食べなくなり、栄養状態が悪くなった結果死に至るというものでした。主治医も「病気なら薬を投与するという対応策もあるけれど、病気でもなく死んでいく人には対処する方法がない」と言っていました。確かに、どれだけ医学が進歩しても老衰を止める薬はでないようです。
そこで思い出すのは以下の御文章の一節です。
蓮如上人が書かれた御文章の2帖目7通にこのように書かれています。
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たとひまた栄華にほこり栄耀にあまるといふとも、盛者必衰会者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず。ただ五十年・百年のあひだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもつてたのみすくなし。これによりて、今の時の衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもふべきなり。
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大まかな意味を書くと、たとえどれだけ名声や経済的成功をしたとしても、盛んなるものは必ず衰え、会うものは必ず別れるのが世のならいであるならば、いつまでも続くものではありません。ただ、50年・100年の間のことです。それに加えて「老少不定(死ぬ順番は年齢順ではない)」と聞く時は、本当にたよりになるものはありません。こういうことから、今生きている人は、他力の信心を獲て浄土往生を遂げて頂きたいと思うばかりです。
いつまでも生きていられる人はいない以上、いつかは別れる時が来ます。どれだけ健康だと言っていても、死ななくなるのではありません。私の祖母も病気らしい病気もないまま老衰で亡くなりました。それに老少不定の世の中ですから、年をとったものから順番に死んでいくのではありません。
だからこそ、浄土真宗では他力の信心をえて浄土往生を遂げなさいと進められています。
死ぬことは、ただこの世を終わった行くのではなく浄土に往生するご縁となるので、死ぬこともまた有り難いご縁となります。そういう教えと知って、仏教の教えを聞いて頂きたいと思います。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。