【仏教ブログ】防災の日に、地震・台風よりも必ず来る問題を考える
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
毎年9月1日は「防災の日」です。この日は、1923年(大正12年)の関東大震災を教訓に1960年に設けられました。関東大震災は、東京や神奈川を中心に大きな被害をもたらしました。その悲劇を忘れずに、未来の災害に備えるために設けられました。
今年は、1月1日の能登半島地震に始まり、8月8日には「南海トラフ地震臨時情報」が発表されました。その後、8月末には台風10号に対して特別警報が発表され関係する地域では対応に追われました。ホームセンターやスーパーの売り場からは、ペットボトル入りの水が消え、非常食になる食べ物も消えました。
今のところ南海トラフ地震は起きていませんが、地震大国であり、台風が毎年上陸する日本では、この二つは避けられないものです。そのため、常日ごろの準備が呼びかけられています。
地震も台風も来るとは分かっていても、今回のような事がなければなかなか備えない人も多いのではないかと思います。私も、今回のことで水くらいは常備しておいたほうが良いかと思い購入しました。
地震や台風で、大きな被害に遭わない人もあるでしょうが、誰でも必ず直面するのは自分が死んでいかねばならないという問題です。自然災害については、いろいろな備えをすることである程度は防げるものもあります。しかし、自然災害そのものが起きないようにはできません。同じように、死ぬことそのものは防ぐことはできません。しかし、死んでどうなるのかという問題は、備えることができます。
必ず来るものに備えないのは悲しむべきことだと、蓮如上人は御文章に書かれています。
それ、つらつら人間のあだなる体を案ずるに、生あるものはかならず死に帰し、盛んなるものはつひに衰ふるならひなり。さればただいたづらにあかし、いたづらにくらして、年月を送るばかりなり。これまことになげきてもなほかなしむべし。(御文章3帖目4通)
よくよく人間のはかない姿を考えてみると、命あるものは必ず死に、栄えたものは必ず衰えるものです。だから、ただ空しく一日を過ごして、年月を重ねていくばかりです。これはまことに歎いてもなお悲しむべきことであると言われています。
地震や台風も恐ろしいものであり、備えるべき問題ですが、必ず死なねばならない問題について教えられた仏教を聞いて頂きたいと思います。
※下の画像は生成AIが考えた「必ず死なねばならない問題について教えられた仏教を聞く人々」です。
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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。