【仏教ブログ】報恩講について・蓮如上人のお言葉2

光顔寺 納骨堂のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の記事の続きです。

報恩講について、ただ行事に足を運ぶことだけが大事なのではなく、他力の信心を獲る事が大事だと蓮如上人は御文章に書かれています。

御文章三帖目九通には続けてこのように書かれています。

それ、聖人御入滅はすでに一百余歳を経といへども、かたじけなくも目前において真影を拝したてまつる。また徳音ははるかに無常の風にへだつといへども、まのあたり実語を相承血脈してあきらかに耳の底にのこして、一流の他力真実の信心いまにたえせざるものなり。

蓮如上人の時代は、親鸞聖人のご命日としては200年以上が経っていました。それでも親鸞聖人の御真影を拝見する事が出来ました。また、実際の肉声を聞く事は出来なくても、教えられた通りの教えが今に伝えられているからこそ、浄土真宗の他力真実の信心が今まで絶えた事がないのだと言われています。

今日は蓮如上人の時代から更に500年以上経っていますが、同じように親鸞聖人が教えられたみ教えも伝えられ、他力信心の信心は今も伝えられています。これも親鸞聖人が伝えられた事を、そのまま私たちに伝えようと努力してこられた先達が有ったればこそです。

この御文章の最後にはこのように書かれています。

これによりて年月日ごろわがこころのわろき迷心をひるがへして、たちまちに本願一実の他力信心にもとづかんひとは、真実に聖人の御意にあひかなふべし。これしかしながら今日、聖人の報恩謝徳の御こころざしにもあひそなはりつべきものなり。 わろき迷心というのは、迷いの心と有りますが、自力の迷情の事で、自力心ともいいます。少しだけ話を聞いてすっかり分かったつもりとなり、信心を獲たつもりになっている人もここに入ります。あるいは、助かる事などあるのだろうか、自分に浄土往生などあり得るのだろうかとあれこれ考えて疑っているのもここに入ります。

そのわろき迷心を翻して、阿弥陀仏の本願はたった一つの私が救われる真実の道ですから、他力の信心の身となっていただきたい。それが本当に親鸞聖人の御心にかなうものとなります。それが報恩講です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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