アーカイブ

【仏教ブログ】煩悩の鬼はそのまま 他力をたのむ2021年02月16日 00:02

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の記事の続きです。

煩悩に縛られて、六道を輪廻するのが凡夫です。その凡夫である私は、煩悩がある限りは六道を離れることは出来ないことになります。ところが、その煩悩は死ぬまでなくならないと親鸞聖人は仰います。

では、阿弥陀仏はどうやってそのような私を救って浄土に生まれさせると言われているのでしょうか?

歎異抄にはこのように書かれています。

煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。(歎異抄第3条)

煩悩具足というのは、煩悩に手足を付けたようなものという意味です。煩悩そのものといっていい私は、どのようなことをしたとしても生死を繰り返す輪廻を離れることができません。それを阿弥陀仏は憐れにおもって、その私を救うという本願を建てられました。

そのため、煩悩具足のものを仏にするのが阿弥陀仏が本願を建てられた本当の心ですから、他力をたのむ悪人が浄土に往生できるのだと書かれています。

ここで、「他力をたのみ」と言われています。煩悩具足の私には、煩悩を無くしたり減らすことによって浄土に往生することはできません。そこで阿弥陀仏は「他力をたのめ」といわれます。「他力」とは、阿弥陀仏の本願力のことをいいます。阿弥陀仏が私を救う為に建てられた本願が、その通りになるように働いている力のことをいいます。

その他力(本願力)は、目には見えませんがただ今も私に働き掛けられています。具体的には南無阿弥陀仏となって働いています。私が南無阿弥陀仏と称える念仏は、全て阿弥陀仏の本願力が私の口から現れているのだと教えられます。では南無阿弥陀仏とは、どう私に働いているのかといいますと「我をたのめ必ず救う」と呼びかけられています。その呼びかけの通りに、まかせることを、他力をたのむといいます。

煩悩という鬼はそのままに、他力をたのむ人は必ず浄土に往生させるというのが阿弥陀仏の救いです。

―――――――――――――――――――――――――――

宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

金沢市内からの納骨堂のご利用・墓じまい・永代供養・新規の墓地取得について2021年02月05日 08:02

光顔寺納骨堂のスタッフRTです。

最近、金沢市内の方からご相談を賜ることが急増しております。特に手続きが必要な墓じまい(お骨のお引越し)について、金沢市内の墓地・納骨堂からの墓じまいの手続についてこちらに記載してみたいと思います。

●お骨のお引越しのことを法律用語で「改葬」といいます!

 既にお墓や納骨堂などに埋蔵・収蔵されている遺骨を、ほかのお墓や納骨堂に移すことを「改葬」といいます。金沢市内に埋葬されている遺骨を改葬するときは、金沢市役所市民局市民課生活衛生室にてお手続が必要です。

b5e692719296656dd219437e50c22a45

●改葬許可申請の手順(下記に資料を添付)

①改葬先の納骨堂または墓地を決定する

②金沢市役所市民局市民課生活衛生室 にて「改葬許可申請書」を入手し、必要事項を記入する(金沢市は複写の特別用紙の指定がある為、HP等からダウンロードできません)

※光顔寺にも在庫がございます。数量に限りがございますので、事前にお問い合わせください。

③現在遺骨が埋蔵・収蔵されているお墓や納骨堂の管理者から、上記1の申請書に埋蔵・収蔵の事実を認める署名と押印を受ける

④遺骨を改葬する予定のお墓や納骨堂の管理者から、「遺骨の受入を許可されていることがわかる証明書(受入許可証など)」をもらう

⑤申請者の本人確認書類(免許証など)を準備する。郵送の場合は本人確認書類のコピーを準備する

⑥上記書類を市役所へ提出する

<必要書類>

    〇改葬許可申請書に記載の遺骨の受入を許可されていることがわかる証明書(受入許可証など)

    〇申請者の本人確認書類(免許証、保険証など。郵送の場合はコピーを同封)

    〇死亡者の死亡の事実のわかる戸籍謄本

    〇死亡者と申請者の関係がわかる戸籍謄本

 なお、改葬許可申請を代理でされる場合は、「代理人選任届(委任状)」が必要です。

 また、遺骨が死産児などのもので戸籍謄本が準備できない場合は個別に対応させていただきます。

ご不明な点がございましたら、光顔寺納骨堂(TEL0766-73-8756)までお電話ください。

【仏教ブログ】自らの胸の中の鬼は追い出せるのか?2021年02月02日 00:02

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

2月2日は節分の日です。「鬼は外、福は内」と言って豆まきがなされています。今年は、コロナ禍で行事そのものを中止にするところも多く、各家庭でされるという方も多いと思います。

鬼とは、地獄の獄卒のイメージが強いので、自分以外のところに鬼は存在すると思いがちです。しかし、それら鬼を自分自身心の中に見いだすこともあります。その場合は、青鬼は貪欲、赤鬼は瞋恚、黒鬼は愚痴のことだと言う人もあります。

そうやって鬼を自らの煩悩に喩えた場合、この鬼を果たして追い出すことが出来るでしょうか?

答えは、追い出すことは出来ないと親鸞聖人は言われています。

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。(一念多念証文)

私たちのことを「凡夫」といわれています。凡夫とは、煩悩に縛られて六道を輪廻する者のことを言われています。その凡夫というものは、無明煩悩が身に充ち満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、そねみねたむ心多く途切れる隙もありません。そして、臨終を迎え、息の切れる時までそれら煩悩は、止まらず、消えず、絶えずと水火二河のたとえに顕されていると言われています。

欲の心にしろ、怒りの心にしろ、それらは死ぬ時まで止まることもなく、消えたり、減ったりすることもありません。年を重ねると、それらが少し落ちついたかのように思う人もありますが、それは煩悩をかき立てる縁が少なくなっただけで、縁さえあればどのような心も起きてきます。元々持ち合わせているものは減ることも無いので、どれだけ「鬼は外」と豆をまいても、心の中の鬼は出て行くどころか、減ることもありません。

では、そんな心の鬼を抱えたままで、どうやって六道を離れて浄土に往生することができるのでしょうか?煩悩という鬼はそのままに、私を救って下さるのが阿弥陀仏の救いです。

―――――――――――――――――――――――――――

宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。