【仏教ブログ】煩悩の鬼はそのまま 他力をたのむ
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
前回の記事の続きです。
煩悩に縛られて、六道を輪廻するのが凡夫です。その凡夫である私は、煩悩がある限りは六道を離れることは出来ないことになります。ところが、その煩悩は死ぬまでなくならないと親鸞聖人は仰います。
では、阿弥陀仏はどうやってそのような私を救って浄土に生まれさせると言われているのでしょうか?
歎異抄にはこのように書かれています。
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。(歎異抄第3条)
煩悩具足というのは、煩悩に手足を付けたようなものという意味です。煩悩そのものといっていい私は、どのようなことをしたとしても生死を繰り返す輪廻を離れることができません。それを阿弥陀仏は憐れにおもって、その私を救うという本願を建てられました。
そのため、煩悩具足のものを仏にするのが阿弥陀仏が本願を建てられた本当の心ですから、他力をたのむ悪人が浄土に往生できるのだと書かれています。
ここで、「他力をたのみ」と言われています。煩悩具足の私には、煩悩を無くしたり減らすことによって浄土に往生することはできません。そこで阿弥陀仏は「他力をたのめ」といわれます。「他力」とは、阿弥陀仏の本願力のことをいいます。阿弥陀仏が私を救う為に建てられた本願が、その通りになるように働いている力のことをいいます。
その他力(本願力)は、目には見えませんがただ今も私に働き掛けられています。具体的には南無阿弥陀仏となって働いています。私が南無阿弥陀仏と称える念仏は、全て阿弥陀仏の本願力が私の口から現れているのだと教えられます。では南無阿弥陀仏とは、どう私に働いているのかといいますと「我をたのめ必ず救う」と呼びかけられています。その呼びかけの通りに、まかせることを、他力をたのむといいます。
煩悩という鬼はそのままに、他力をたのむ人は必ず浄土に往生させるというのが阿弥陀仏の救いです。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。