【仏教ブログ】自らの胸の中の鬼は追い出せるのか?
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
2月2日は節分の日です。「鬼は外、福は内」と言って豆まきがなされています。今年は、コロナ禍で行事そのものを中止にするところも多く、各家庭でされるという方も多いと思います。
鬼とは、地獄の獄卒のイメージが強いので、自分以外のところに鬼は存在すると思いがちです。しかし、それら鬼を自分自身心の中に見いだすこともあります。その場合は、青鬼は貪欲、赤鬼は瞋恚、黒鬼は愚痴のことだと言う人もあります。
そうやって鬼を自らの煩悩に喩えた場合、この鬼を果たして追い出すことが出来るでしょうか?
答えは、追い出すことは出来ないと親鸞聖人は言われています。
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。(一念多念証文)
私たちのことを「凡夫」といわれています。凡夫とは、煩悩に縛られて六道を輪廻する者のことを言われています。その凡夫というものは、無明煩悩が身に充ち満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、そねみねたむ心多く途切れる隙もありません。そして、臨終を迎え、息の切れる時までそれら煩悩は、止まらず、消えず、絶えずと水火二河のたとえに顕されていると言われています。
欲の心にしろ、怒りの心にしろ、それらは死ぬ時まで止まることもなく、消えたり、減ったりすることもありません。年を重ねると、それらが少し落ちついたかのように思う人もありますが、それは煩悩をかき立てる縁が少なくなっただけで、縁さえあればどのような心も起きてきます。元々持ち合わせているものは減ることも無いので、どれだけ「鬼は外」と豆をまいても、心の中の鬼は出て行くどころか、減ることもありません。
では、そんな心の鬼を抱えたままで、どうやって六道を離れて浄土に往生することができるのでしょうか?煩悩という鬼はそのままに、私を救って下さるのが阿弥陀仏の救いです。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。