アーカイブ

ネットワーク型参拝システムバージョンアップのお知らせ2021年02月25日 00:02

 令和2年2月

平素より、光顔寺納骨堂をご愛顧いただきありがとうございます。

 従前より、納骨堂ご利用者様にご提供させていただいておりました納骨堂のネットワーク型参拝システムですが、この度バージョンアップを行いました。

 今まではリモート参拝自体は可能でしたが、動画や写真・法名などのデータを光顔寺にお持ちいただき登録しておりました。この度、コロナ下での利便性向上のため。ご自宅等のPC・タブレット・スマートフォンからデータをアップロードや編集が可能になりました。

 代わりに、新規にシステムご利用を希望される場合は、納骨堂のご契約者様または代理人様からの事前登録が必要となります。ご登録の方法は下記の画像をクリックして、「動画システムのご案内フォーム」に入力いただき情報を送信していただくだけです。

 尚、以前よりご利用の皆様に於かれましては、継続して同様にご利用いただけますが、ご自宅等からのアップロードや編集につきましては当HPのコンタクトフォームまたはTEL:0766-73-8756までお問い合わせください。

合掌 称名

【仏教ブログ】煩悩の鬼はそのまま 他力をたのむ2021年02月16日 00:02

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の記事の続きです。

煩悩に縛られて、六道を輪廻するのが凡夫です。その凡夫である私は、煩悩がある限りは六道を離れることは出来ないことになります。ところが、その煩悩は死ぬまでなくならないと親鸞聖人は仰います。

では、阿弥陀仏はどうやってそのような私を救って浄土に生まれさせると言われているのでしょうか?

歎異抄にはこのように書かれています。

煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。(歎異抄第3条)

煩悩具足というのは、煩悩に手足を付けたようなものという意味です。煩悩そのものといっていい私は、どのようなことをしたとしても生死を繰り返す輪廻を離れることができません。それを阿弥陀仏は憐れにおもって、その私を救うという本願を建てられました。

そのため、煩悩具足のものを仏にするのが阿弥陀仏が本願を建てられた本当の心ですから、他力をたのむ悪人が浄土に往生できるのだと書かれています。

ここで、「他力をたのみ」と言われています。煩悩具足の私には、煩悩を無くしたり減らすことによって浄土に往生することはできません。そこで阿弥陀仏は「他力をたのめ」といわれます。「他力」とは、阿弥陀仏の本願力のことをいいます。阿弥陀仏が私を救う為に建てられた本願が、その通りになるように働いている力のことをいいます。

その他力(本願力)は、目には見えませんがただ今も私に働き掛けられています。具体的には南無阿弥陀仏となって働いています。私が南無阿弥陀仏と称える念仏は、全て阿弥陀仏の本願力が私の口から現れているのだと教えられます。では南無阿弥陀仏とは、どう私に働いているのかといいますと「我をたのめ必ず救う」と呼びかけられています。その呼びかけの通りに、まかせることを、他力をたのむといいます。

煩悩という鬼はそのままに、他力をたのむ人は必ず浄土に往生させるというのが阿弥陀仏の救いです。

―――――――――――――――――――――――――――

宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】自らの胸の中の鬼は追い出せるのか?2021年02月02日 00:02

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

2月2日は節分の日です。「鬼は外、福は内」と言って豆まきがなされています。今年は、コロナ禍で行事そのものを中止にするところも多く、各家庭でされるという方も多いと思います。

鬼とは、地獄の獄卒のイメージが強いので、自分以外のところに鬼は存在すると思いがちです。しかし、それら鬼を自分自身心の中に見いだすこともあります。その場合は、青鬼は貪欲、赤鬼は瞋恚、黒鬼は愚痴のことだと言う人もあります。

そうやって鬼を自らの煩悩に喩えた場合、この鬼を果たして追い出すことが出来るでしょうか?

答えは、追い出すことは出来ないと親鸞聖人は言われています。

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。(一念多念証文)

私たちのことを「凡夫」といわれています。凡夫とは、煩悩に縛られて六道を輪廻する者のことを言われています。その凡夫というものは、無明煩悩が身に充ち満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、そねみねたむ心多く途切れる隙もありません。そして、臨終を迎え、息の切れる時までそれら煩悩は、止まらず、消えず、絶えずと水火二河のたとえに顕されていると言われています。

欲の心にしろ、怒りの心にしろ、それらは死ぬ時まで止まることもなく、消えたり、減ったりすることもありません。年を重ねると、それらが少し落ちついたかのように思う人もありますが、それは煩悩をかき立てる縁が少なくなっただけで、縁さえあればどのような心も起きてきます。元々持ち合わせているものは減ることも無いので、どれだけ「鬼は外」と豆をまいても、心の中の鬼は出て行くどころか、減ることもありません。

では、そんな心の鬼を抱えたままで、どうやって六道を離れて浄土に往生することができるのでしょうか?煩悩という鬼はそのままに、私を救って下さるのが阿弥陀仏の救いです。

―――――――――――――――――――――――――――

宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。