【仏教ブログ】お盆はなぜ「お盆」というか?

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

例年にない暑さに加えて、コロナ第7波をうけてのお盆の季節となりました。この状況で、今年もお盆に里帰りができなくなったという方も多いのではないかと思います。

今回は「お盆」の語源についての話です。

お盆とは、「孟蘭盆会(うらぼんえ)」という仏事からきた言葉で、略して「お盆」と言っております。この「孟蘭盆会」は、浄土真宗に限らず日本の仏教宗派では行われています。では、なぜ「孟蘭盆会」というのかといえば、「仏説孟蘭盆経」に説かれた話が元となっているからです。

このお経では、お釈迦さまのお弟子の目連尊者(もくれんそんじゃ)が、その神通力をもって亡くなった母親が現在どうなっているかを見てみたところから始まります。すると、目連尊者の母親は、餓鬼道に生まれて苦しんでいました。餓鬼道とは、生前に欲深い行為をした人が赴くところといわれ、食べ物を食べようとすると火になって消えてしまい食べられず常に飢餓状態にあるとされています。

 どうにか母親の苦しみを救いたいと思った目連尊者は、お釈迦さまに相談をしました。それに対するお釈迦さまの答えはこのようなものでした。当時お釈迦さまとそのお弟子は、雨期になると托鉢に回れない間、安居といって集まってお互いの研鑽をしていました。その安居を終えた僧に法要をしてもらい、布施をすることで母親は救われるだろうというものでした。

それを聞いた目連尊者は、その通りに実行したところ餓鬼道に苦しむ母親の苦しみが除かれたと言うものです。

この餓鬼道の苦しみは、逆さまにつり下げられる(倒懸)の苦しみだといわれます。その倒懸をインドの言葉でウランバーナといい、それを漢字で音をあてたものが盂蘭盆といわれています。

ここから逆さまになっているのは、他ならぬ自分の姿であるということを知らせて頂き、そんな者を救う仏法を聞かせて頂こうというのが、浄土真宗のお盆の法要の意味です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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