【仏教ブログ】1年の計は元旦にあり まだの人は今年こそ
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
新年を迎えて、「1年の計は元旦にあり」と、今年の目標を立てておられる人もいるかと思います。
このことわざは、戦国武将・毛利元就の言葉が由来とされる説があります。元就は「一年の計は春にあり、一月の計は朔(ついたち)にあり、一日の計は鶏鳴(一番鶏が鳴く早朝)にあり」と述べたとされ、計画を立てるタイミングの重要性を説きました
いづれも、計画は早め早めに立てることが大事だと言っています。それは、私たちにとって時間は有限なものであり、少しも待ってはくれないからです。年を重ねると、一年が経つのは早く感じますが、変わらないのは時計の針は進み続けているということです。
室町時代の、禅宗の僧侶・一休宗純は「門松は冥土の旅の一里塚」という歌を詠みました。
人生は、冥土への旅であり、新年を迎えたというのは、それだけ冥土へまた近づいたということです。一年の初めに考えることは、そのことを前提にしなければなりません。なぜなら、必ず直面する問題だからです。これを、蓮如上人は後生の一大事といわれました。
必ず迎える後生に、生死の問題を解決して浄土に往生して仏になれるか、それともまた迷いを重ねていくのかという一大事です。一年のうちでいえば、元旦より早い日はありません。ですから、「正月早々そんなことを」と思われる人もいるかもしれません。しかし、この後生の一大事については、早すぎるということはありません。
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて(御文章5帖目16通)
と、蓮如上人は御文章に書かれています。
時間が巻き戻ることがないことを考えると、「はやく」というのは今のこのときより早いときはありません。後生の一大事の解決を教えられた、浄土真宗の教えを今まで聞いた事がない方は、今年は仏法を聞かれる年にしていただきたいと思います。
※下の画像は生成AIが考えた「門松は冥土の旅の一里塚」です。

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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。