【仏教ブログ】浄土真宗での歳末の礼について・蓮如上人御一代記聞書より
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
今年も12月となり、慌ただしい時期となってきました。お歳暮の用意に忙しい方もあるかと思います。歳の暮れに、血縁者やお世話になった人に日ごろのお礼をかねて品物を送る風習です。
北陸地方では、娘の嫁ぎ先に実家からブリを1本送るところがあります。これは「嫁ブリ」ともいわれ、出世魚のブリにかけて、嫁ぎ先の家が繁栄して欲しいというところから来ているそうです。
それとは反対に九州では、婿の実家から嫁の実家に送るところが有るそうです。「よか嫁ぶり」という言葉にかけているとのことです。
何を送るかは、場所や相手によって変わりますが、日ごろお世話になった方に感謝の気持ちをあらわす習慣はよいことだと思います。
この年の暮れのお礼と言えば、蓮如上人御一代記聞書に「歳末の礼」という言葉が出てくる箇所があります。
大まかな内容は以下のものです。
12月6日に、蓮如上人が摂津富田の寺へ出かけられるということで、前日の夜に多くの人がやってきました。
それらの人は、明日から出かけられるので、直接会えるのは今夜だけと思い、先日の報恩講のお礼と、歳末のお礼を蓮如上人に伝えるためにやってきました。
そういう事情を聞かれた蓮如上人は以下のように言われました。
無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて礼にせよ
「そういうお礼の言葉はいいから、信心決定の身になって下さい。それがお礼になります。」
何かの講演会のお礼でしたら「感動しました」「分かりやすい話でした」はお礼の言葉となりますが、蓮如上人にしてみればそうではありませんでした。
報恩講で話をされた蓮如上人からすれば、「先日の報恩講ではお世話になりました」のお礼の言葉よりも、「このたび信心決定の身に救われました」と聞くのがなによりのことでした。
御文章で「みなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」と書かれているように、蓮如上人はそれ一つを考えておられました。
そのように信心決定の身となり、浄土往生する身に定まることが、浄土真宗の教えです。
その意味での歳末の礼をご縁のある方にいえるようになって頂きたいと思います。
※参照 蓮如上人御一代記聞書全文
一 十二月六日に富田殿へ御下向にて候ふあひだ、五日の夜は大勢御前へまゐり候ふに、仰せに、今夜はなにごとに人おほくきたりたるぞと。順誓申され候ふは、まことにこのあひだの御聴聞申し、ありがたさの御礼のため、また明日御下向にて御座候ふ。御目にかかりまうすべしかのあひだ、歳末の御礼のためならんと申しあげられけり。そのとき仰せに、無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて礼にせよと仰せ候ひき。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。