【仏教ブログ】お彼岸について(1/2)
9月になると、秋のお彼岸の時期です。正確にいうと、春の春分、秋の秋分の日を中心に、前後3日間を加えた7日間がお彼岸の時期になります。
(令和元年は9月20~26日)
お寺によっては彼岸会という行事をすることもあります。しかし、彼岸とは一体どういう意味でしょうか?
彼岸とは、「彼」方の「岸」という意味です。仏教では、目指すべきところという意味でさとりをひらくことを言われます。それに対して「此岸」という言葉があります。これは「此」方の「岸」という意味で、煩悩にふり回されている私たちの日々の暮らしを言います。
それでは、なぜ春分の日と秋分の日が彼岸の中日と呼ばれるのでしょうか?
春分の日と秋分の日は、太陽が丁度西に沈む日です。それ以外は季節によって、全くの西から少し北か少し南に沈みます。もともと仏教では、西というのは、太陽が沈む方向ということで全てのものが最後に帰するところという意味があります。そのことから、太陽が全くの西に沈む日を彼岸といって仏事を行ったりします。
浄土真宗では、「西」という方角は特別な意味を持っています。それは、阿弥陀仏の浄土のある方角が西だからです。
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そのとき、仏、長老舎利弗に告げたまはく、「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。(阿弥陀経)
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これは、阿弥陀仏と浄土について説かれたお経の一つである阿弥陀経の一部です。
お釈迦さまが、ある時お弟子の長老舎利弗尊者にこういわれました。「ここから西の方角に、十万億仏土という遥かな距離を過ぎたところに世界がある。その名前を極楽という。そこに阿弥陀という仏がまします。その阿弥陀仏は現在ただ今、法を説いておられます」
このように西というのは、阿弥陀仏と、その阿弥陀仏がおられる極楽浄土のある方向です。彼岸という、太陽が丁度、真西へ沈むのを見ながら、昔の方々は阿弥陀仏とその浄土に思いを馳せたのでしょう。
私たちが死んでも、この命はなくならないと仏教では教えられます。最後に、私の命の帰るべきところはどこでしょうか?それは、阿弥陀仏の浄土しかありませんと教えられるが浄土真宗です。どうか、自分の最後行くところは何処なのかを考えるご縁として頂きたいと思います。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。