【動画配信】物故者総追悼法要 兼 西班牙流行性感冒百回忌法要(主催:十六日講 2023/03/05厳修)勤行・法話 編集後配信のお知らせ(末尾にお勤めの現代語訳を掲載)

 慈光のもと、益々ご清祥のことと存じます。

 下記の通り、当院ではコロナウイルス感染症等により、石動祖廟にて2020年3月に厳修予定で延期しておりました、物故者追悼法要 兼 西班牙(スペイン)流行性感冒百回忌法要を2023年3月5日に下記の通り、執り行いました。

 2019年以降の光顔寺十六日講物故者(納骨堂信徒含む)追悼開闢法要も併せて執り行いました。

 当日は多くのご参加で密を避けご参加を見合わせれた方・やむを得ないご事情で参加できなかった方・お聴聞したい遠方の方のためにライブ配信以外に参拝者のプライバシーに配慮した形での編集後配信も行うことになりました。

 下記に光顔寺納骨堂チャンネル(Youtube)への勤行・法話のリンクを貼ると共に、お勤めの現代語訳等、詳細も記載させていただいておりますので、是非お聴聞ください。

 また、来年以降も3月に追悼法要および法要配信を行う予定ですので、是非ご参加ご視聴のうえお聴聞をお願い致します。

合掌 称名

☆勤行

【導師】   光顔寺富山祖廟光明寺住職 釋玄理 師

お勤めの内容や現代語訳、解説はこのページを下にスクロールしていただくとご覧いただけます。

☆法話☆ 

【御講師】   阿部信幾 師
        本願寺派輔教
        本願寺派布教使(東京教区)
        前・布教研究課程主任講師 兼 同専任講師
        前・布教使課程 専任講師

        前・東京仏教学院専攻科 講師
        元・布教専修課程 専任講師
        元・連研中央講師
        東京都中央区 出身

勤行次第(現代語訳あり)

1.【喚鐘】

2.【入堂楽】

3.【総礼頌(総礼伽陀)】

※①曇鸞太子「讃阿弥陀仏偈」(「仏説無量寿経」に基づいて阿弥陀如来のお徳を讃えた歌頌)

より御文を抽出し、信心歓喜する者は皆、往生浄土を遂げる旨を述べる。

諸聞阿弥陀徳号

すべての人が阿弥陀仏の功徳のみ名を聞いて

信心歓喜慶所聞

信心歓喜してこれを喜び

乃曁一念至心者

わずか一念するものまで

廻向願生皆得生

心から願えばみな往生することができる

唯除五逆謗正法

ただ五逆と正法を謗る者を除く

故我頂礼願往生

それゆえわたしは如来を礼拝し往生を願う

4.【頌讃】

※②親鸞聖人「顕浄土真実教行証文類」教巻末より

如来興世之正説

まことに無量寿経は、 如来が世にお出ましになった本意を示された正しい教えであり

奇特最勝之妙典

この上なくすぐれた経典であり

一乗究竟之極説

すべてのものにさとりを開かせる至極最上の教えであり

速疾円融之金言

速やかに功徳が満たされる尊い言葉であり

十方称讃之誠言

すべての仏がたがほめたたえておられるまことの言葉であり

時機純熟之真教

時代と人々に応じた真実の教えである

5.【表白】

※表敬白文ともいい、尊前にて本日の法要の趣旨を申し上げるもの

6.【経段】

※③佛説阿弥陀経

                 姚秦三蔵法師鳩摩羅什奉詔訳

                 姚秦の三蔵法師鳩摩羅什詔を奉じて訳す

如是我聞

次のように、 わたしは聞かせていただいた。

一時佛在 舍衛國 祇樹給孤獨園 與大比丘衆 千二百五十人倶

あるとき、 釈尊は舎衛国の祇園精舎においでになって、 千二百五十人のすぐれた弟子たちとご一緒であった。

皆是大阿羅漢 衆所知識 長老舍利弗 摩訶目犍連 摩訶迦葉 摩訶迦旃延 摩訶倶絺羅 離婆多 周利槃陀伽 難陀 阿難陀 羅睺羅 憍梵波提 賓頭盧頗羅墮 迦留陀夷 摩訶劫賓那 薄拘羅 阿樓駄 如是等 諸大弟子 并諸菩薩摩訶薩 文殊師利法王子 阿逸多菩薩 乾陀訶提菩薩 常精進菩薩 與如是等 諸大菩薩 及釋提桓因等 無量諸天 大衆倶

これらはみな世に知られた徳の高い阿羅漢であって、 そのおもなものは、 長老の舎利弗をはじめ摩訶目犍連・摩訶迦葉・摩訶迦旃延・摩訶倶絺羅・離婆多・周利槃陀伽・難陀・阿難陀・羅睺羅・憍梵波提・賓頭盧頗羅堕・迦留陀夷・摩訶劫賓那・薄拘羅・阿㝹楼駄などの弟子たちであった。 またすぐれた菩薩たち、 すなわち文殊菩薩・弥勒菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩などの菩薩たちや、 その他、 帝釈天などの数限りないさまざまな神々ともご一緒であった。

爾時佛告 長老舍利弗

そのとき釈尊は長老の舎利弗に仰せになった。

從是西方 過十万億佛土 有世界 名曰極樂 其土有佛 號阿彌陀 今現在

「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、 極楽と名づけられる世界がある。 そこには阿弥陀仏と申しあげる仏がおられて、 今現に教えを説いておいでになる。

舍利弗 彼土何故 名爲極樂 其國衆生 無有衆苦 但受諸樂 故名極樂

舎利弗よ、 その国をなぜ極楽と名づけるかというと、 その国の人々は、 何の苦しみもなく、 ただいろいろな楽しみだけを受けているから、 極楽というのである。

又舍利弗 極樂國土 七重欄楯 七重羅網 七重行樹 皆是四寶 周帀圍繞 是故彼國 名曰極樂

また舎利弗よ、 その極楽世界には七重にかこむ玉垣と七重におおう宝の網飾りと七重につらなる並木がある。 そしてそれらはみな金・銀・*瑠璃・水晶の四つの宝でできていて、 国中のいたるところにめぐりわたっている。 それでその国を極楽と名づけるのである。

又舍利弗 極樂國土 有七寶池 八功德水 充滿其中 池底純以 金沙布地 四邊階道 金銀瑠璃 玻瓈合成 上有樓閣 亦以金銀瑠璃 玻瓈硨磲 赤珠碼碯 而嚴飾之 池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔

また舎利弗よ、 極楽世界には七つの宝でできた池があって、 不可思議な力を持った水がなみなみとたたえられている。 池の底には一面に金の砂が敷きつめられ、 また四方には金・銀・瑠璃・水晶でできた階段がある。 岸の上には楼閣があって、 それもまた金・銀・瑠璃・水晶・*硨磲・赤真珠・*瑪瑙で美しく飾られている。 また池の中には車輪のように大きな蓮の花があって、 青い花は青い光を、 黄色い花は黄色い光を、 赤い花は赤い光を、 白い花は白い光を放ち、 いずれも美しく、 その香りは気高く清らかである。

舍利弗 極樂國土 成就如是 功德莊嚴

舎利弗よ、 極楽世界はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

又舍利弗 彼佛國土 常作天樂 黄金爲地 晝夜六時 而雨曼陀羅華 其國衆生 常以淸旦 各以衣裓 盛衆妙華 供養他方 十万億佛 即以食時 還到本國 飯食經行

また舎利弗よ、 その阿弥陀仏の国には常にすぐれた音楽が奏でられている。 そして大地は黄金でできていて、 ^昼夜六時のそれぞれにきれいな曼荼羅の花が降りそそぐ。 その国の人々はいつも、 すがすがしい朝に、 それぞれの器に美しい花を盛り、 他の国々の数限りない仏がたを供養する。 そして食事の時までには帰ってきて、 食事をとってからしばらくの間はそのあたりを静かに歩き、 身と心をととのえる。

舍利弗 極樂國土 成就如是 功德莊嚴

舎利弗よ、 極楽世界はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

復次舍利弗 彼國常有 種種奇妙 雜色之鳥 白鵠孔雀 鸚鵡舍利 迦陵頻伽 共命之鳥 是諸衆鳥 晝夜六時 出和雅音 其音演暢 五根五力 七菩提分 八聖道分 如是等法 其土衆生 聞是音已 皆悉念佛念法念僧

また次に舎利弗よ、 その国にはいつも白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命鳥などの色とりどりの美しい鳥がいる。 このさまざまな鳥たちは、 昼夜六時のそれぞれに優雅な声で鳴き、 その泣き声はそのまま五根・五力・七菩提分・八聖道分などの尊い教えを説き述べている。 そこでその国の人々はみな、 この鳴き声を聞いて仏を念じ、 法を念じ、 僧を念じるのである。

舍利弗 汝勿謂此鳥 實是罪報所生 所以者何 彼佛國土 無三惡趣

舎利弗よ、 そなたはこれらの鳥が罪の報いとして鳥に生れたのだと思ってはならない。 なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである。

舍利弗 其佛國土 尚無三惡道之名 何況有實 是諸衆鳥 皆是阿彌陀佛 欲令法音宣流 變化所作

舎利弗よ、 その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないのだから、 ましてそのようなものがいるはずがない。 このさまざまな鳥はみな、 阿弥陀仏が法を説きひろめるために、 いろいろと形を変えて現されたものにほかならないのである。

舍利弗 彼佛國土 微風吹動 諸寶行樹 及寶羅網 出微妙音 譬如百千種樂 同時倶作 聞是音者 皆自然生 念佛念法念僧之心

舎利弗よ、 またその仏の国では宝の並木や宝の網飾りがそよ風に揺れ、 美しい音楽が流れている。 それは百千種もの楽器が同時に奏でられているようであり、 その音色を聞くものは、 だれでもおのずから仏を念じ、 法を念じ、 僧を念じる心を起すのである。

舍利弗 其佛國土 成就如是 功德莊嚴

舎利弗よ、 阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

舍利弗 於汝意云何 彼佛何故 號阿彌陀

舎利弗よ、 そなたはどう思うか。 なぜその仏を阿弥陀と申しあげるのだろうか。

舍利弗 彼佛光明無量 照十方國 無所障礙 是故號爲阿彌陀

舎利弗よ、 その仏の光明には限りがなく、 すべての国々を照らして何ものにもさまたげられることがない。 それで阿弥陀と申しあげるのである。

又舍利弗 彼佛壽命 及其人民 無量無邊 阿僧祇劫 故名阿彌陀

また舎利弗よ、 その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく、 実にはかり知れないほど長い。 それで阿弥陀と申しあげるのである。

舍利弗 阿彌陀佛 成佛已來 於今十劫

舎利弗よ、 この阿弥陀仏が仏になられてから、 今日まですでに十劫という長い時が過ぎている。

又舍利弗 彼佛有無量無邊 聲聞弟子 皆阿羅漢 非是算數 之所能知 諸菩薩衆 亦復如是

また舎利弗よ、 その仏のもとには数限りない声聞の弟子たちがいて、 みな阿羅漢のさとりを得ている。 その数の多いことは、 とても数え尽すことができない。 また菩薩たちの数もそれと同じく、 数え尽すことができない。

舍利弗 彼佛國土 成就如是 功德莊嚴

舎利弗よ、 阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

又舍利弗 極樂國土 衆生生者 皆是阿鞞跋致 其中多有一生補處 其數甚多 非是算數 所能知之 但可以無量無邊 阿僧祇劫

また舎利弗よ、 極楽世界に生れる人々はみな不退転の位に至る。 その中には一生補処という最上の位の菩薩たちもたくさんいる。 その数は実に多く、 とても数え尽すことができない。 それを説くには限りない時をかけなければならない。

舍利弗 衆生聞者 應當發願 願生彼國 所以者何 得與如是 諸上善人 倶會一處

舎利弗よ、 このようなありさまを聞いたなら、 ぜひともその国に生れたいと願うがよい。 そのわけは、 これらのすぐれた聖者たちと、 ともに同じところに集うことができるからである。

舍利弗 不可以少善根 福德因緣 得生彼國

しかしながら舎利弗よ、 わずかな功徳を積むだけでは、 とてもその国に生れることはできない。

舍利弗 若有善男子善女人 聞阿彌陀佛 執持名號 若一日 若二日 若三日 若四日 若五日 若六日 若七日 一心不亂 其人臨命終時 阿彌陀佛 與諸聖衆 現在其前 是人終時 心不顛倒 即得往生 阿彌陀佛 極樂國土

舎利弗よ、 もし善良なものが、 阿弥陀仏の名号を聞き、 その名号を心にとどめ、 あるいは一日、 あるいは二日、 あるいは三日、 あるいは四日、 あるいは五日、 あるいは六日、 あるいは七日の間、 一心に思いを乱さないなら、 その人が命を終えようとするときに、 阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。 そこでその人がいよいよ命を終えるとき、 心が乱れ惑うことなく、 ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生れることができる。

舍利弗 我見是利 故此言 若有衆生 聞是者 應當發願 生彼國土

舎利弗よ、 わたしはこのような利益があることをよく知っているから、 このことを説くのである。 もし人々がこの教えを聞いたなら、 ぜひともその国に生れたいと願うがよい。

舍利弗 如我今者 讚歎阿彌陀佛 不可思議功德 東方亦有 阿閦鞞佛 須彌相佛 大須彌佛 須彌光佛 妙音佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經

舎利弗よ、 わたしが今、 阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえているように、 東方の世界にも、 また阿閦鞞仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏など、 ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、 それぞれの国でひろく舌相を示して、 世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、 まごころをこめて、 そなたたち世の人々よ、 この «阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、 すべての仏がたがお護りくださる経» を信じるがよいと仰せになっている。

舍利弗 南方世界 有日月燈佛 名聞光佛 大焰肩佛 須彌燈佛 無量精進佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經

舎利弗よ、 また南方の世界にも、 日月灯仏・名聞光仏・大焔肩仏・須弥灯仏・無量精進仏など、 ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、 それぞれの国でひろく舌相を示して、 世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、 まごころをこめて、 そなたたち世の人々よ、 この «阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、 すべての仏がたがお護りくださる経» を信じるがよい と仰せになっている。

舍利弗 西方世界 有無量壽佛 無量相佛 無量幢佛 大光佛 大明佛 寶相佛 淨光佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經

舎利弗よ、 また西方の世界にも、 無量寿仏・無量相仏・無量幢仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏など、 ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、 それぞれの国でひろく舌相を示して、 世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、 まごころをこめて、 そなたたち世の人々よ、 この «阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、 すべての仏がたがお護りくださる経» を信じるがよい と仰せになっている。

舍利弗 北方世界 有焰肩佛 最勝音佛 難沮佛 日生佛 網明佛 如是等恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經

舎利弗よ、 また北方の世界にも、 焔肩仏・最勝音仏・難沮仏・日生仏・網明仏など、 ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、 それぞれの国でひろく舌相を示して、 世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、 まごころをこめて、 そなたたち世の人々よ、 この «阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、 すべての仏がたがお護りくださる経» を信じるがよいと仰せになっている。

舍利弗 下方世界 有師子佛 名聞佛 名光佛 達摩佛 法幢佛 持法佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經

舎利弗よ、 また下方の世界にも、 師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏など、 ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、 それぞれの国でひろく舌相を示して、 世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、 まごころをこめて、 そなたたち世の人々よ、 この «阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、 すべての仏がたがお護りくださる経» を信じるがよいと仰せになっている。

舍利弗 上方世界 有梵音佛 宿王佛 香上佛 香光佛 大焰肩佛 雜色寶華嚴身佛 娑羅樹王佛 寶華德佛 見一切義佛 如須彌山佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經

舎利弗よ、 また上方の世界にも、 梵音仏・宿王仏・香上仏・香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・娑羅樹王仏・宝華徳仏・見一切義仏・如須弥山仏など、 ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、 それぞれの国でひろく舌相を示して、 世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、 まごころをこめて、 そなたたち世の人々よ、 この «阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、 すべての仏がたがお護りくださる経» を信じるがよいと仰せになっている。

舍利弗 於汝意云何 何故名爲 一切諸佛 所護念經

舎利弗よ、 そなたはどう思うか。 なぜこれを すべての仏がたがお護りくださる経 と名づけるのだろうか。

舍利弗 若有善男子善女人 聞是諸佛所名 及經名者 是諸善男子善女人 皆爲一切諸佛 共所護念 皆得不退轉 於阿耨多羅三藐三菩提 是故舍利弗 汝等皆當 信受我語 及諸佛所

舎利弗よ、 もし善良なるものたちが、 このように仏がたがお説きになる阿弥陀仏の名とこの経の名を聞くなら、 これらのものはみな、 すべての仏がたに護られて、 この上ないさとりに向かって退くことのない位に至ることができる。 だから舎利弗よ、 そなたたちはみな、 わたしの説くこの教えと、 仏がたのお説きになることを深く信じて心にとどめるがよい。

舍利弗 若有人 已發願 今發願 當發願 欲生阿彌陀佛國者 是諸人等 皆得不退轉 於阿耨多羅三藐三菩提 於彼國土 若已生 若今生 若當生

舎利弗よ、 もし人々が阿弥陀仏の国に生れたいとすでに願い、 または今願い、 あるいはこれから願うなら、 みなこの上ないさとりに向かって退くことのない位に至り、 その国にすでに生れているか、 または今生れるか、 あるいはこれから生れるのである。

是故舍利弗 諸善男子善女人 若有信者 應當發願 生彼國土

だから舎利弗よ、 仏の教えを信じる善良なるものたちは、 ぜひともその国に生れたいと願うべきである。

舍利弗 如我今者 稱讚諸佛 不可思議功德 彼諸佛等 亦稱我 不可思議功德 而作是言

舎利弗よ、 わたしが今、 仏がたの不可思議な功徳をほめたたえているように、 ^その仏がたもまた、 わたしの不可思議な功徳をほめたたえてこのように仰せになっている。

釋迦牟尼佛 能爲甚難 希有之事 能於娑婆國土 五濁惡世 劫濁 見濁 煩惱濁 衆生濁 命濁中 得阿耨多羅三藐三菩提 爲諸衆生 是一切世間 難信之法

釋迦牟尼仏は、 世にもまれな難しく尊い行を成しとげられた。 娑婆世界はさまざまな濁りに満ちていて、 汚れきった時代の中、 思想は乱れ、 煩悩は激しくさかんであり、 人々は悪事を犯すばかりで、 その寿命はしだいに短くなる。 そのような中にありながら、 この上ないさとりを開いて、 人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになったことである。

舍利弗 當知我於 五濁惡世 行此難事 得阿耨多羅三藐三菩提 爲一切世間 此難信之法 是爲甚難

舎利弗よ、 よく知るがよい。 わたしは濁りと悪に満ちた世界で難しい行を成しとげ、 この上ないさとりを開いて仏となり、 すべての世界のもののためにこの信じがたいほどの尊い教えを説いたのである。 このことこそ、 まことに難しいことなのである。

此經已 舍利弗 及諸比丘 一切世間 天人阿修羅等 聞佛所 歡喜信受 作禮而去

このように仰せになって、 釈尊がこの教えを説きおわられると、 舎利弗をはじめ、 多くの修行僧たちも、 すべての世界の天人や人々も、 阿修羅などもみな、 この尊い教えを承って喜びに満ちあふれ、 深く信じて心にとどめ、 うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。

佛説阿弥陀経

7.【短念仏】

8.【回向】

※④善導大師「観経疏」の劈頭「帰三宝偈」の末尾

願以此功徳

願わくは この尊い功徳をもって

平等施一切

すべての人々に与え

同発菩提心

もろともに信心をおこして

往生安楽国

安楽国に往生しよう

9.【退出楽】

*****おつとめの出典について <浄土真宗本願寺派総合研究所 聖教解説より>*****

讃阿弥陀仏偈 曇鸞大師

本書は、曇鸞大師が主に『大経』によって阿弥陀仏とその聖衆、および国土の荘厳相を讃嘆された七言一句の偈頌(詩句)である。

内容の上から本書を大別すると、総讃・別讃・結讃の三つの部分よりなっていると考えられる。まず総讃の部分では、浄土の方処を西方安楽土と指定し、仏を阿弥陀と標して、曇鸞大師自身の帰命の意を示し、阿弥陀仏の光寿二無量の徳を讃嘆する。これにつづく別讃は、本書の中心部分で、阿弥陀仏・聖衆・国土の三種荘厳を詳しく讃嘆したものである。とくに十二光の名を釈して阿弥陀仏の徳を讃じている点は曇鸞大師の創意になるものであり、教学の上からも注目される。最後の結讃の部分では、相承の本師であるところの龍樹菩薩を讃じて、本書製作の意趣を明かし、阿弥陀一仏に帰するゆえんを示して、一部の結びとしている。

なお、本書の現行流布本には、「南無至心帰命礼西方阿弥陀仏」の帰礼の文や「願共諸衆生往生安楽国」の願生の文など、行儀に関する文言が各節の前後にあるが、これらは善導大師の『往生礼讃』の形態に準じて後世に付加されたものであるので、本聖典所収にあたっては、『讃阿弥陀仏偈』の原型を重んじて、これらの文を省き、三百五十句の偈頌のみのかたちとした。

顕浄土真実教行証文類 親鸞聖人

本書は親鸞聖人の主著で、『教行信証』『教行証文類』『広文類』『本典』などとも称され、浄土真宗の教義体系が示されている。すなわち本願力回向を往相・還相の二回向に分け、その往相の法義を教・行・信・証の四法として明かされたもので、立教開宗の根本聖典である。初めに総序があり、続いて教・行・信・証・真仏土・化身土と六巻に分けて詳細に宗義が明かされ、終りに後序がある。そのなか、最初に、真実の教とは、釈尊の説かれた『大経』であって、本願を宗とし、名号を体とする釈尊出世の本懐の教である。この経に説かれた法義が、次の行信証の因果である。第二の行とは、本願の名号であって、破闇満願の力用をもち衆生を往生成仏させる行法である。第三の信とは、この行法を領受した三心即一の無疑の信心をいう。この信の体は名号であり、また仏の大智大悲心であるからよく真実報土に到って涅槃のさとりを開く因となる。これを信心正因という。第四の証というのは験現という意味で、如来回向の行信の因が、果としてあらわれることをいう。この証果は弥陀同体のさとりであり、涅槃とも滅度ともいう。またこの証果の悲用として、衆生救済の還相が展開するという。このような証の現れる境界が第五の真仏真土であって、光明無量・寿命無量の大涅槃の境界である。それは同時に往還二回向のおこる本源でもある。以上五巻で顕真実の法義は終るが、第六化身土巻において、権仮の教と邪偽の教とを区分し明かされる。権仮の教とは、聖道門と浄土門内の方便教である要門、真門のことである。また邪偽の教とは、仏教以外の外道のことをいう。このように「仮」と「偽」を簡ぶことによって、いよいよ真実を明らかにされるのである。

仏説阿弥陀経 鳩摩羅什訳

略して『小経』とも称される。この経は舎衛国の祇園精舎において説かれたもので、無問自説の経(問いをまたずにみずから説かれた経)、また一代結経(釈尊一代の説法の結びの経)といわれる。

 正宗分は大きく三段に分けて見ることができる。初めの一段には、極楽浄土のうるわしい荘厳相と仏・聖衆の尊い徳を示される。次に、この浄土には自力の善根では往生できないのであって、一心に念仏することによってのみ往生ができると説かれ、終りに、東南西北、下方上方の六方の諸仏が、この念仏往生の法が真実であることを証誠し護念されている旨を説き述べられるのである。

『大経』には阿弥陀仏の本願が説かれ、『観経』にはあらゆる善根功徳(定散二善)と弥陀念仏の法とを説いて、最後に他力念仏の一法を勧められるが、この経にはもっぱら念仏一法のみを説いて結ばれるのである。

なお、浄土三部経については、親鸞聖人は一致と差別と両様の見方を示されている。それは『観経』『小経』には顕説と隠彰の両義があるからである。『観経』は顕説からいえば定散二善の法を説くもので、第十九願諸行往生の法を開説したもの、『小経』も顕説からいえば多善根多福徳の自力念仏の法を説くもので、第二十願の法を開説したものと見られる。このように見る場合は三経差別である。

しかし、『観経』もその本意は定散二善の法を廃して他力念仏を説き、『小経』もその本意は他力念仏の法を説く。それが隠彰の義であって、『大経』と同じ本願の法を説く。これが三経一致である。その一致のなかで、『大経』は法の真実、『観経』は機の真実、『小経』は機法合説証誠というふうに、それぞれあらわされるのである。

観経疏 4巻 善導大師

本書は、善導大師の教学上の主著で、諸師の『観経』解釈をただし、同経の真意を明らかにしようとしたものである。「玄義分」・「序分義」・「定善義」・「散善義」の4帖(巻)からなっているので『四帖疏』ともいわれる。大師の著作は本書の他に、『法事讃』2巻、『観念法門』1巻、『往生礼讃』1巻、『般舟讃』1巻があり、古来本書と合せて「五部九巻」と総称されている。またこの『観経疏』を「本疏」とも「解義分」とも呼ぶのに対し、他の4部を「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわしている。

「玄義分」は、経の要義をあらかじめ述べたもので、はじめに「帰三宝偈」(「勧衆偈」・「十四行偈」)と呼ばれる偈頌がおかれ、以下7門にわたって善導大師独自の『観経』に対する見方が示されている。

「序分義」以下の3帖は、経の本文を詳しく註釈したものである。「序分義」は、経の序説にあたる部分を註釈したもの、「定善義」は、経の本論にあたる正宗分の中、定善十三観の文について註釈したものである。「散善義」は、正宗分の中、散善を説く九品段と、得益分、流通分、耆闍分について註釈し、後跋を付したものである。その後跋の部分では、古今の諸師の誤った『観経』解釈をあらため、仏意を確定するという「古今楷定」の意趣が示されている。

領解文 蓮如上人

本書は、真宗教義を会得したままを口に出して陳述するように第八代宗主蓮如上人が作られたものとされ、山科本願寺落成の頃から読むようになったといわれている。大谷派では『改悔文』とも称する。内容は簡潔で、一般の人にも理解されるように平易に記されたものではあるが、当時の異安心や秘事法門に対して、浄土真宗の正義をあらわしたものである。

第一の安心の段には、自力のこころを離れて阿弥陀仏の本願他力にすべてを託する、いわゆる捨自帰他の安心が示されている。

第二の報謝の段には、信の一念に往生が定まるから、それ以後の念仏は報恩にほかならないという、いわゆる称名報恩の義が示されている。したがって、この第一・第二の両段において、信心正因・称名報恩の宗義が領解されたことになる。

第三の師徳の段には、上記の教えを教示し伝持された親鸞聖人や善知識の恩徳を謝すべきことが述べられている。

第四の法度の段には、真宗念仏者の生活の心がまえが示され、『御文章』などに定められた「おきて」にしたがって生活すべきことが述べられている。

 

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