【仏教ブログ】雪と阿弥陀仏の本願

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

今年は真夏日が観測史上最も遅くに出るなど、いつまでも秋が来ないといっておりました。

しかし、12月に入ると一気に冬模様となってきました。長期予報では、少なくとも暖冬ではなさそうです。

冬となると、雪が降る地方では一面の雪景色となります。家にも田畑にも山にも等しく雪は降り積もります。そういうところから、仏の慈悲に例えられる人もいました。

特に阿弥陀仏の本願は、すべての人を救うというものです。どんな人も救うということは、相手によって差別をしないということです。仮に差別があれば、阿弥陀仏の本願から漏れる人が出てきます。

一方で一人一人同じ人間はいません。今年話題になったNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」では、憲法第14条がたびたび紹介されていました。

「すべて国民は法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

昭和21年11月3日に公布された、日本国憲法の一つです。

今では「当たり前」と思われることが、当時はどれだけ画期的だったかはドラマで描かれていました。それだけ、いろいろな差別が当時はありました。しかし、戦前と比べてどれほど差別がなくなったかといえば形は変わっても差別は存在しています。それらの差別については、私たち一人一人の意識の変化と努力によらなければなくすことはできません。

しかし、阿弥陀仏は「私を救う」という一点において差別をされないということです。それは、雪がどんなところにも差別なく降り積もるのと同じです。「この田んぼには降らないでおこう」「こっちには多く降っておこう」という雪はありません。

阿弥陀仏の救いの働きも、人種や信条、性別によって差別はありません。

南無阿弥陀仏と念仏申すものを救うという本願を建てて下さったのが阿弥陀仏です。

親鸞聖人は、「浄土和讃」に以下のように書かれています。

(82)

十方微塵世界の

 念仏の衆生をみそなはし

 摂取してすてざれば

 阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃)

自分のところには中々阿弥陀仏はおいでにならないという方もおられますが、どんなところでも南無阿弥陀仏と念仏申すところに阿弥陀仏の喚び声が届いています。


※下の画像は生成AIが考えた「阿弥陀仏は全人類に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」です。

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Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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