【仏教ブログ】卒業式でマスク不要。浄土真宗の信心もマスク不要。

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

3月は卒業シーズンです。特に今年は、マスクを外しての卒業式が行われるという事が話題になっています。特に今年中学、高校を卒業するみなさんは、この3年間ずっとマスクをしての学生生活だっただけに感慨もひとしおかと思います。

元々感染防止のために始まった学校でのマスク着用ですが、時間が経つごとに「マスクを外したくない」「素顔を見られたくない」と思う生徒さんも相当数いると聞いています。コロナから身を守るマスクが、いつのまにか他人から自分を守る鎧のようになっている人もいるようです。

ただ、これは中高生に限らず、大人でも「作り笑いで口角を上げなくて済むのでマスクの方が楽だ」という意見も耳にします。ただ、これは「表情という仮面」を被るか、マスクで顔を半分隠すかの違いで、本当の自分を出さない事には変わりありません。

大事なことは、マスクを着用するかどうかではなく、思っている事を語れるかどうかではないでしょうか。

私たちは兎角、人に対しては本心を語る事を避けることが多いです。それは、本心をいうことで相手にどう思われるか、嫌われるのではないかを警戒するからです。もちろん人間関係ではそのように考えて発言することも、大事なことにはちがいありません。

しかし、浄土真宗の信心においては、自分の信心をそのまま語ることがとても大事であるといわれます。それは、思ってもいないことを偽ったところで、自分自身の信心は変わらないからです。そして、人前を取り繕った信心では浄土往生はできないと教えられています。

以下は、蓮如上人御一代記聞書に出てくる文章です。

一 蓮如上人仰せられ候ふ。物をいへいへと仰せられ候ふ。物を申さぬものはおそろしきと仰せられ候ふ。信不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。物を申せば心底もきこえ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せと仰せられ候ふ。

(現代語訳)

蓮如上人は,「仏法について語りあう場では、すすんでものをいいなさい。黙りこんで一言もいわないものは何を考えているかわからず恐ろしい。

信心を得たものも得ていないものも、ともかくものをいいなさい。そうすれば、心の奥で思っていることもよくわかるし、また、間違って受けとめたことも人に直してもらえる。だから、すすんでものをいいなさい」と仰せになりました。

3月13日からマスク着用は個人判断ということになり、マスクを外す人も増えると思います。信心のマスクも取り外して、思ったことをそのまま語れればいいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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