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【仏教ブログ】今しら知らない私と仏様が知られた私2022年07月23日 00:07

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回のブログで、蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや(曇鸞大師・浄土論註)について夏しかしらないセミは夏そのものを知らないように、今すら知らない私は、明日を知る事ができないことを書きました。

そこで、阿弥陀仏は私をどのように見ておられるのかについて、同じく曇鸞大師の浄土論註から紹介します。

三界を見そなはすに、これ虚偽の相、これ輪転の相、これ無窮の相にして、蚇蠖[屈まり伸ぶる虫なり]の循環するがごとく、蚕繭[蚕衣なり]の自縛するがごとし。あはれなるかな衆生、この三界に締[結びて解けず]られて、顛倒・不浄なり。

三界というのは、私のいる迷いの世界のことです。阿弥陀仏が、この世界をご覧になると、真実がなく、同じ事を繰り返し、その極まりがない相をしています。それは、尺取り虫が同じところをぐるぐると回るようなものであり、蚕が繭をつくる際、自分の口から吐いた糸で自分を縛っているようなものです。阿弥陀仏は、その私たちが、この迷いの世界に結びつけられて出る事ができず、逆さまで清らかでないことを憐れに思われました。

仏様からご覧になるとこのような相ですが、私たちにも思い当たる事はいろんな場面であります。

「変化の激しい時代」と言われて久しいですが、時代に関わらず私たちが生きている世界はいつも変わり通しで、「これでもう安心」ということがありません。そこからなんとか変わろうとしても、同じ事を繰り返しているのが実感です。

しかし、そんな相だと自分のことを知ったとしても、私たちにはそこから出る道も、出るにしてもどこに出たらよいかも知りません。

そこで、先の御言葉には続いてこのように書かれています。

衆生を不虚偽の処、不輪転の処、不無窮の処に置きて、畢竟安楽の大清浄処を得しめんと欲しめす。

阿弥陀仏は、私を虚偽ではない所、同じ事を繰り返さないような所、際限なく続くようなことがない所に置いて、安楽で清らかな極まりのところに生まれさせたいと思われました。

今も未来も分からない私をご覧になって、私の最後落ち着くべき浄土を作られて、そこに往生させるというのが阿弥陀仏の本願です。その願いを聞いて救われるのが、浄土真宗での救いです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】夏しか知らないセミと今しか知らない私2022年07月08日 00:07

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

例年より2週間近く梅雨が早く明け、連日猛暑が続いています。7月からは、すっかり夏らしい日々が続いています。

夏といえば、セミが鳴く季節です。ずっと地中にいたセミの幼虫は、夏に羽化してセミとなり、一週間から二週間で命を終えていきます。

セミについて書かれた言葉を、今回は紹介します。

蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや

(けいこしゅんじゅうをしらず いちゅう あに しゅようのせつをしらんや)

(曇鸞大師 浄土論註)

これは、これは曇鸞大師は、中国の方です。上記にあげた言葉は、荘子からの引用と言われています。

蟪蛄(けいこ)とは夏ゼミのことです、夏に出てきて夏で死んでいくセミは春と秋を知りません。だから伊虫(この虫)は、どうして朱陽(夏)の季節を知る事ができるだろうかという意味です。

私たちが、梅雨が明けた、夏が来たとか、今年の夏は暑いというのは、春夏秋冬という季節を知っているからです。ですから、セミを見て「セミは夏に鳴くもの」「夏の風物詩」と言っています。

しかし、当のセミからすれば「自分は夏に鳴いている」という意識はないでしょう。言い換えると、セミは夏に鳴きながら「夏」を知らないのです。

私たちに当てはめてみると、私たちは「今」を生きています。生まれる前も、死んだ後も知りません。未来に関しては、明日のことも知りません。

その意味では、私たちは「今」を生きながら「今」を知っていません。

いろいろと世情が不安定で「先行きが不透明」という言葉をよく耳にしますが、「先行き」ではなく「今」が不透明なのが私というものです。

しかし、セミがどれだけ考えても夏を夏と知る事がないように、私も今をどれだけ考えても知る事ができません。そこで、浄土真宗では、阿弥陀仏が私たちをどのようにご覧になっているかということを通して私というものを教えて頂きます。

私以上に、私を知られているのが阿弥陀仏という仏様です。その阿弥陀仏が、私を救うために建てられたのが阿弥陀仏の本願です。その阿弥陀仏の本願に救われるのが、浄土真宗の救いです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。