【仏教ブログ】お彼岸について(2/2)

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回、お彼岸について、太陽が真西に沈むこの時期は、西方十万億仏土を過ぎたところにおられる阿弥陀仏とその浄土に思いを馳せる日です。ということを書きました。

そう聞きますと、阿弥陀仏も浄土も随分遠くにおられるのだなぁと思います。そこで、自分とは随分縁遠い話しだと思う方もおられます。しかし、観無量寿経というお経には、このようにも説かれています。

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阿弥陀仏、此を去ること遠からず(観無量寿経)

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阿弥陀仏は、私のすぐ側におられ、私を浄土に往生させようと夜昼つねに働いて下さっているということです。

そうなると、先の阿弥陀経と矛盾をするのではないかと思われるかも知れません。

阿弥陀経の「西方十万億仏土を過ぎた」といわれるのは、私たちから見た阿弥陀仏や浄土の感じ方です。私たちからすれば、煩悩につねにふり回されている生活ですから、阿弥陀仏の清浄な世界とは大きな隔てがあります。実際に、人間がどう頑張ってもそんな遠いところへは行くことが出来ません。

それに対して観無量寿経の「此を去ること遠からず」は、阿弥陀仏のお慈悲についていわれたものです。自らの力では、とても浄土へたどり着けない私の元へ、阿弥陀仏の方からよりそって下さいます。私の方から遠い存在である阿弥陀仏は、現在ただ今私を救おうと働いておられます。阿弥陀経でいう「いま、現にましまして法を説きたまふ」のです。

具体的に、どう法を説いておられるのかといえば、それが「南無阿弥陀仏」です。私が、口に南無阿弥陀仏と念仏申すことは、阿弥陀仏の働きかけが、私の口から出て下さるものです。

阿弥陀仏のお徳からいえば、私とは遥かに隔てが有るように感じますが、南無阿弥陀仏と私に呼び掛け、救って下さると聞いて見て下さい。「此を去ること遠からず」のお言葉も、より身近に感じられるのではないでしょうか。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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