【仏教ブログ】母の日・母から見ればどんな者も子、仏から見ればどんな者も仏の子
光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
5月の第2日曜日は母の日です。日本では、1947年(昭和22年)に法律で制定されました。母親に感謝をし、その苦労を労う日とされています。
浄土真宗では、阿弥陀仏を母に例えられることがあります。
親鸞聖人のご和讃に、以下のようなものがあります。
(74)
釈迦・弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり(高僧和讃)
[現代語訳]
お釈迦さまと阿弥陀如来は慈悲においての父母である。様々に真実巧みな手立てをなされ、私たちにこの上もない信心を、起こさせてくださったのである。
この和讃で、親鸞聖人はご自身で註釈として「釈迦は父なり、弥陀は母なりとたとへたまへり」と書かれています。父も母も子供のことを考えることでは同じです。仏様でも、私たちを迷いから離れさせたいという願いに違いはありません。
しかしお釈迦さまを父とされ、阿弥陀さまを母とされたのは、この和讃の前のところで二河白道の譬えについて書かれているからです。その譬えの中では、この娑婆世界から浄土へ向かう私に対してお釈迦さまは「この道を進んで行け」と背中を押し出して下さいます。阿弥陀仏は、「心を一つにして、ただちに来なさい。私が守るので恐れるな」と呼び続けてくださいます。その違いを、常に私を浄土へと呼び続けてくださる阿弥陀仏を母に例えられたものだと思われます。母親が、子供に向かって「我が子よ」と呼びかけるように、阿弥陀仏は私を「仏の子よ」と呼びかけて下さいます。
その意味で、私はどこから来てどこへ行くのかも分からないものではなく、阿弥陀仏からすればやがて仏に成るべきものとなります。やがて仏になるべき者ということで「仏の子」といわれます。それは、母からすれば私がどんなものでも「母の子」であるように、仏からすればどんなものでも「仏の子」にということです。
私がどんな状態であれ、どんな者であれ、常に「我が浄土に来なさい」と呼び続け、浄土に往生したものは仏にするというのが阿弥陀仏の願いです。それは母親からすれば、どんな状態であっても子が子であることが変わらないのと同じです。そのことから、親鸞聖人は阿弥陀仏を母に例えられました。
※下の画像は生成AIが考えた「母の日に慈悲の母である阿弥陀仏の呼び声にあう人」です。

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Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。