【仏教ブログ】お釈迦さま入滅の言葉「法に依りて人に依らざるべし」について

光顔寺明照廟堂/水月精舎(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

2月15日は、お釈迦さまが入滅された日です。仏教では、涅槃会といわれる法要が行われます。

その入滅に言われたこととして、親鸞聖人は教行信証にこのように引用されています。

涅槃に入りなんとせし時、もろもろの比丘に語りたまはく、〈今日より法に依りて人に依らざるべし(教行信証・化身土文類)

当時はお釈迦さまから教えを受けていたお弟子達は、今後どうすればよいのだろうかと不安に思う人もいました。

それに対して、教えそのものをよりどころとしなさい、説く人をより所としてはなりませんと言われたものです。

お釈迦さまの弟子に限らず、人をよりどころとしている人は多いのではないでしょうか。それは、親であったり、パートナーであったり、子供であったり、友人であったりします。あるいは、「推し」をよりどころとしている人もいることでしょう。

そのよりどころとする度合いが多いほど、その人と別離する時には苦しみも大きくなります。会者定離という言葉もあるように、人と人は会えば最後離れていくのが定めです。

もちろん大切な人のことを思う気持ちは大事なものです。しかし、より所となるのは人ではなくて法であるとお釈迦さまは教えられます。なぜなら、人は私を励ましたり、力を与えることはできますが、私を救う力はありません。

浄土真宗で「法」といえば、阿弥陀仏であり南無阿弥陀仏のことを指します。阿弥陀仏は、私を救う法です。南無阿弥陀仏は、その法が働いて下さって声の形で現れてくださったものです。

この「法に依れ」を、蓮如上人は御文章で「阿弥陀仏をたのめ」と言われています。そのように言われるのは、阿弥陀仏が「私をあてたよりとせよ」と呼びかけられる仏様だからです。その阿弥陀仏の仰せのとおりに、阿弥陀仏をあてたよりにしなさいといわれるのが「阿弥陀仏をたのめ」という言葉です。

人や人の言葉でなく、法そのものによりなさいと教えられています。本当にたよりになるものをたよりにして生きたいと思います。


※下の画像は生成AIが考えた「入滅された釈迦如来」です。

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Profile

1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。

脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。

現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。

   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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