【仏教ブログ】源信僧都の母の話(1)

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

5月の第二日曜日は母の日です。

子供に影響を与えた母親の話として有名なのは、源信のお母様の話です。

源信(942ー1017)は、平安時代の比叡山の僧侶です。「往生要集」を書かれた方で、恵心僧都ともいわれます。浄土真宗では親鸞聖人が正信偈に挙げられた「七高僧」の一人として有名です。

源信は、大和国(現在の奈良県)当麻の生まれです。7歳で父と死別し、9歳で比叡山に入り13歳で正式に出家得度します。大変聡明だった源信は、その後15歳で時の天皇の前で「称讃浄土経」の講義をし、法華八講の講師の一人に選ばれます。

大変な名誉に、源信僧都は母親に喜んで貰おうと、天皇より賜った品々に手紙を添えて送りました。しばらくして、母親から手紙で返事が届きました。

そこには、こう書かれていたそうです。

「このような有名な学者になったこと自体はとても喜んでいます。しかし、法華八講になったと大手を振って歩くようなことは、私の本意ではありません。

 私には娘は他に何人もいますが、息子は貴方一人でした。その一人息子を比叡山に送ったのは、よく仏教の学問をして、多武の峰の聖人(名聞利養を捨てた徳の高い僧として有名だった)のような僧となり、私の後生も救ってくれる人になってもらいたくてのことなのです。私も年を取りました。生きている間に貴方が聖人となるのをこの目で見てから安心して死にたい。」

最後に歌がそえられていたと言われています。

「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」

一人息子を9歳で送り出し、その息子が大変な名誉を獲た事を喜ぶ一方で、僧侶としての本分を忘れてはならないことを諌めた源信の母の気持ちはどんなものだったでしょうか。

源信は、母に「聖人になられたのでお会いしましょうと言われるまでは、山から降りません」と返事をして修行により一層打ち込みました。

これほど直接的に言われた事はなかったとしても、親は子供に正しい道を歩んで欲しいと願っています。

仏教では、迷いを離れていく事が正しい道だと教えられています。また、実の親以上に阿弥陀仏は私が迷いを離れる事を願っておられます。その阿弥陀仏の願いの通りに生きていきたいものです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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