【仏教ブログ】源信僧都の母の話(2)
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
前回の記事の続きです。
母の手紙によって修行に打ち込んだ源信のその後です。
それから6年の歳月が流れ、7年目の春に源信は母に手紙を書きました。
「あれから6年間山で修行に打ち込んできました。母上も心配されているでしょうから、一度そちらに伺いましょうか。」
母からの返事が届きます。
「もちろん会いたいとは思いますが、会ったからといって私の罪が消える訳ではないでしょう。あれから山に籠もって修行に専念していることを聞いただけで嬉しく思います。今後は私が言うまでは山から出てこなくていいです。」
この手紙を読んだ源信は「母はただ人ではない。」と思い、その手紙の通りさらに山から降りずに修行を続けます。
それから9年がたった頃、急に源信は胸騒ぎがして母を訪ねることを決心します。
大和の国に入ったところで、母からの手紙を預かっている男に出会います。
その手紙には、「もう自分は長くない。以前私が言うまで山から出てはならないと便りに書きましたが、もう一度何とか会いたいと思います」と書かれていました。
その手紙を読んだ源信は母の元に急ぎました。夕方に自宅に到着し、久しぶりに会った母は、とても衰弱していました。
母は「なんと嬉しい事でしょうか。死ぬまでにはもう会えないかと思っていたところでした。」と苦しい息の中で喜びました。
源信は「念仏申されていますか」と訪ねます。
母は「念仏申そうとは思いますが、もう力もなく勧める人もないのでそのようにできておりません。」
そこで源信は、尊いことを言い聞かせながら念仏を勧めました。母は、仏道を求める心がおこり、念仏を二百回ばかり称えると、明け方になり静かに息を引き取りました。
源信は、「この母がなければ私は仏道に入ることもなかったし、また母も死の間際に息子に念仏を勧められることもなかった。しかれば、親は子にとって、子は親にとって限りなき善知識(仏法の先生)である」と言って涙を流して山へと戻りました。
子にとって親が善知識であり、親はまた子にとって善知識であるという関係でありたいものです。
お互い元気な時も、そうでないときも、ともに念仏申すご縁となるのが、素晴らしい親子の間柄だと思います。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺 信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。