諸行無常から考えること
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
前回の記事で、諸行無常について書きました。今回も諸行無常について続けて書いていきたいと思います。ここ最近でも、交通事故や、通り魔殺人事件などいつ何が起きるか分からないと感じる報道が続いています。天災は忘れた頃にやってくると言いますが、人の命が無常であるということも日々忘れながら私たちは生きています。
その無常ということで、浄土真宗の方なら耳にされたことがあるのが蓮如上人の白骨の御文といわれるものです。有名な「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身」と人の命の無常なることを書かれたところから、そう呼ばれています。
この白骨の御文を書かれた蓮如上人は、御自身もご家族の無常に何度もあわれた方でした。蓮如上人が57才の時に、26才だった長女を亡くされ、58才の時には25才だった次女を亡くされています。また、64才の時には奥さんを亡くされ、69才の時には、42才の長男を亡くされています。
子供に先立たれる親の気持ちというのは、昔も今も変わりはありません。蓮如上人は、この白骨の御文以外にも、世の無常について御文を書かれています。
「されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。(白骨の御文)」
人間の命のはかないことは、年を取ったものが先に死んでいくと決まってはいないところであるから、どんな人でも後生の一大事をこころにかけて、阿弥陀仏を疑い無くあてたよりにして、念仏申しなさいといわれています。
この後生の一大事とは、この命が尽きた後の最も重要なことをいいます。この生死の問題を解決して浄土に往生して仏のさとりをひらくことを言います。それをこころにかけよというのは、この無常な世だからこそ、どうにもならないと後ろ向きに考えるのではなく、必ず死んでいく身が浄土に往生する道があることをどうか知って、浄土往生する身になって下さいということです。それもこの命のある間にその身に救われるかどうかは決まるので、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせてと勧めておられます。
家族だけでなくわが身が無常であることは、いつでもどこでも変わりませんが、そんな私が浄土往生の身に救われるという阿弥陀仏の救いもいつでもどこでも変わらず働いておられます。
諸行無常を考える時には、この後生の一大事も考えてみて下さい。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。