【仏教ブログ】雪での「立ち往生」と「往生」の違い

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

2023年は1月から10年に一度の寒波が日本を覆い、交通機関でも大きな影響を受けました。

中でも、新名神高速道路では、大雪の影響で多くのトラックが28時間も動けなくなっていました。また、JR西日本では電車の中に乗客が長時間閉じこめられるということがありました。

その際、新聞やテレビニュースでは、

新名神立ち往生、渋滞発生で除雪車動かせず…標高300mの場所も : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

大雪の影響で列車立ち往生、JR西日本が謝罪…乗客ら長時間閉じ込め : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

と報じられてしました。

こういう時には「立ち往生」という言葉が使われていますが、元々「往生」には「動けなくなる」という意味はありません。

「他の世界へ往き生まれること。浄土教においては阿弥陀仏の浄土に往き生まれることをいう」(浄土真宗辞典)というのが浄土真宗での「往生」です。

ちなみに「立ち往生」は、「途中で止まったまま、進みも退きもできなくなること。」(日本国語大辞典)とありますので、意味は異なります。

「往生」は、阿弥陀仏の浄土へ「往き」「生まれる」ことですから、「進みも退きもできなくなること」とは全く違います。

迷いの世界を生まれ変わり死に変わりしながら、そこから出る事が出来ないのが人間の姿だと仏教では教えられています。また、生きている間でも同じ事を繰り返したり、どうにもならない状態から抜け出る事ができないまま苦しい思いをする人も多くおられると思います。

日本語辞書に載っている意味での「立ち往生」をしているのは、何も雪で動けなくなったトラックや電車の話ではありません。苦しみから出る事も引き返す事もできない私たちは、今も「立ち往生」しているのではないでしょうか。

そんな私たちに、迷いを離れて「往く」ところがある、「生まれる」世界があると教えられています。それが阿弥陀仏の浄土です。

苦しみの世界での「立ち往生」から、本当の「往生」をする身にさせていただきたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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