【仏教ブログ】老いについて・お釈迦さまのお言葉
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
2023年9月18日は敬老の日です。1947年(昭和22年)に老人愛護デーとして制定され、1966年(昭和41年)に敬老の日に改称されました。
戦後ずっと高齢化、長寿命化が進み、今では人生100年時代ともいわれています。最初の1947年頃は、60歳を過ぎれば、「老人」という印象でしたが、それから76年経過した現在では、60歳といってもまだまだ若いという印象です。
とはいえ、人間一年生きれば確実に一つ年を重ねる事は、長寿命化が進んだといっても変わらない事実です。諸行無常と仏教で説かれるように、いつまでも変わらないものというのはこの世にありません。そこで、最近は健康寿命という言葉もよく聞かれます。これは健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間のことを指します。夫婦二人暮らしや、一人暮らしの方も多くなり、みなさん健康寿命を気にされています。毎朝ウォーキングやランニングをされる方も多くおられます。
人は誰でも老いを迎えます。そこで、老いについて教えられたお釈迦さまのお言葉を紹介します。
頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。ただのむなしい老いぼれである。真理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、そうしてはじめて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、年長者として尊敬される。
ここで長老というのは、お釈迦さまの時代の出家者の中での年長者を指して言われます。しかし、ただ年を取れば長老として尊敬されるのではないということを言われています。自ら真理を求め、真理をさとり、自らを正して、他人の害とならず、互いに慈しみあうようになって初めて年長者として尊敬されると言われています。
もちろんこれは出家者に対していわれたものなので、現代の私たちにはとても厳しい言葉として感じられます。
しかし、浄土真宗の私たちでこれにあたるのが、お念仏を申すということです。常日ごろ心がけてお念仏申す生活をするままが、自他共に南無阿弥陀仏を称え聞くご縁となります。実際にそうすることで、子供や孫にお念仏を相続して来たのが浄土真宗の歴史です。
南無阿弥陀仏を阿弥陀仏の招喚の勅命と聞いて、浄土往生させていただく身と自他共にさせて頂くことが大事です。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。