【仏教ブログ】紫陽花の花から別離を考える

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

梅雨時の花と言えば紫陽花が有名です。

紫陽花の花言葉としても、「移り気」「冷淡」「高慢」などマイナスイメージのものが多いです。これは、紫陽花はその咲く土壌によって色が変わる事や、雨に濡れて色あせるところから、不安定さや変節を連想させるからだそうです。

しかし、別の花言葉として「一家団欒」「家族」 など、家族愛を表す花言葉もあります。これは、小さな花が集まって咲く姿から、仲の良い家族をイメージするからだそうです。

こうして紫陽花の花言葉を並べてみると、一人一人が寄り集まって咲く家族という花も、時間の経過で変わっていくことも知らされてきます。確かに、一家団欒と言っても、永遠に続くものではありません。

それについて、お釈迦さまの時代にあった話としてこのようなものがあります。

ある時、お釈迦さまは夫と息子を亡くし、苦しんでいる女性から相談を受けました。その女性に対してお釈迦さまは、こう言われました。
「貴女は夫と息子が死んだことで苦しんでいます。そしてその悲しみから離れることができません。それは貴女が彼らに執着しているからです。それよりも貴女は彼らがかつて生きていたことや、幸せな時間を過ごしたことに感謝すべきです。そして、彼らが今どこにいるのかを考えるよりも、自分自身の心を清めることに努めるべきです。そうすれば、あなたは彼らと再会することができます。」

この話は、家族への感謝と離別の受け入れの大切さを教える話として伝えられています。

誰しも家族との離別は悲しいものです。その離別を受け入れられずに長い間苦しむ人も多くおられます。特に災害などで突然の別れに遭遇する場合はそうなります。

先の女性の心境を譬えると、水面に浮かんだ花びらを手で掴もうとするようなものです。頑張って掴もうとしても花びらは手からすり抜け、水面も波立ってしまいます。しかし、花びらが水面に浮かんだことや、花びらが美しかったことに感謝すれば、心は安らかになりますし、水面も静かになります。花びらがどこへ流れていったかを気にするよりも、自分自身がどこへ行くべきものなのかを改めて見ることが大切です。

紫陽花の花も、梅雨時が終われば散っていきます。家族がどうなっていくのかということも知りたい事ではありますが、自分はどうなのかをあらためて見つめていきたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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