【仏教ブログ】夜とじて朝開く蓮の花に学ぶ

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

梅雨明けになると、蓮の花も見ごろの時期となります。

蓮の花といえば、仏教でよく使われています。仏像の阿弥陀さまは、蓮台といって蓮の花の上に立っておられます

蓮華といえば、蓮の花や睡蓮の花のことをいわれています。また淤泥華(おでいげ)とも呼ばれています。これは、泥の中から出てきて咲く花が全く泥に染まっていないところから、仏や仏性の清浄性を譬えたとされています。

また、蓮の花の特徴として、朝開いて夜にはしぼむを繰り返すというのがあります。夜にはしぼんでいた花が、朝の光を受けて一斉に開く様子が、無明という状態から智慧の光によって開かれていく様子に重ねていたのではないかという説もあります。

無明というのは、真理に暗く、縁起の道理を知らない事をいいます。また、阿弥陀仏の本願を疑い、信じない状態もいいます。私たちは、仏様のような智慧がないために何が真実であるかということを知ることができません。そのために、自分が何によって苦しんでいるかも分からずに右往左往しながら迷いを重ねて生きています。

そんな時に、自分の心と相談をしても何も明るいものは生まれてきません。なぜなら相談する自分の心もまた無明だからです。

阿弥陀仏は、智慧の仏ですから、そんな私の無明を破って下さいます。

無明の闇を破するゆゑ

 智慧光仏となづけたり

 一切諸仏三乗衆

 ともに嘆誉したまへり(浄土和讃)

阿弥陀仏の本願に対する疑いを破って下さるので、阿弥陀仏のことを智慧光仏ともいわれます。その智慧光仏の働きを、すべての仏、菩薩、それ以外の方がともに褒め称えるといわれています。

夜にしぼんでいる蓮の花も、朝日によって花開くように、私の無明も智慧の光によって破って頂けます。今が苦しい、暗いという方は、蓮の花にならって阿弥陀仏の光を仰いでみてください。その光といっても、どこか遠くにあるのではありません。南無阿弥陀仏はその智慧光仏そのものです。

そのお働きによって、それを聞いて疑いなければ泥にまみれたような私が、浄土に往生すると美しい仏とさせて頂くのです。

―――――――――――――――――――――――――――

宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です