【仏教ブログ】本当に大事なことは何でしょう?三帰依文から聞く1
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
緊急事態宣言が終わり、少しは日常が戻って参りました。
特に小中学生にとっては待ち望んでいた学校の再開です。日ごろは、学校から帰ってゲームばかりしていた子供も、長い休みの間、外にもあまり出られず、ゲームばかりをしてさすがに飽き飽きしたという声も聞きました。子供にとって本当に大切なもの、やりたいことは何だったのかを振り返る機会だったのかもしれません。
子供に限らず、私たちも、本当に大事なものは何だったのかを考える期間でした。いつも当たり前のようにあったものが、先日の緊急事態宣言の間になくなってしまったものもたくさんあります。また会わなくなった人も多くいると思います。このように、本当に大事なものというのは失って初めて気が付くことが多いです。反対に、失って見て思ったほど自分にとって大事ではなかったと気がつくものもあります。
では失ってそれが大事だったか、そうではなかったの違いはどこで起きるのでしょうか?それは、自分にとって替えがきかないものかどうかです。
「三帰依文」には以下のような言葉があります。
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。」
大まかな意味を書きますと、人間に生まれることは難しい、しかしその受け難い人としての生をいますでに受けている。仏の教えは聞き難いが、いますでに聞かせて頂いた。このいまの私が、この人生で迷いを離れることができなければ、さらに何度生まれ変わりを繰り返しても迷いを離れることはできないだろう。というものです。
私のいのち、私の人生というのは私にとってもっとも掛け替えのないものです。なぜなら、私の人生を他の人に変わってもらうことはできないからです。それも、その人間に生を受けるということは大変有り難いことです。そのありがたい人間の身に生を受けたのですから、無為にすごすのは大変勿体ないことです。
仏教もまた掛け替えのない教えです。なぜなら私が迷いを離れる教えが説かれているからです。そんな教えにはなかなかあい難いものですから、仏法聞き難しといわれます。
その仏法をいま聞いている人は、掛け替えのない機会を得ているわけですから、この今の人生で迷いを離れなければ、次にいつ人としての生を受け、その上仏法をきくことがあるでしょうか?だからこの人生で迷いを離れましょうといわれているのが三帰依文の最初の部分です。
私にとって、本当に大事なものはこの私のいのちです。ですが、ただ迷いを重ねることが大事なのではなく、迷いを離れることが大事です。そして迷いを離れることを教えられているのが仏法ですから、どうぞその教えを聞いて頂きたいと思います。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。