【仏教ブログ】仏教で教えられる「人生は苦なり」について

仏教では、私たちが生きていることは苦しみであると教えられます。それを短く言われたものとして「人生は苦なり(一切皆苦)」というお釈迦さまのお言葉があります。

そう聞くと、その通りと膝を打つ人もあれば、確かに人生そうそう楽しいことばかりではないし、苦しいこともあるけれど、人生の全てが苦しいというのはちょっと同意できないという方もおられることと思います。また、そういうことから仏教は虚無主義だという人もいます。

しかし、それは大きな誤解です。この「苦」とは何も、肉体的な苦痛や、精神的苦痛のことをいわれたものではないからです。実際に、「一切皆苦」の「苦」の元になったインドの言葉は、今日英訳されたときには「不満足」の意味で訳されています。

その意味で言い換えれば、「人生は不満足なり」ということになります。また別の言い方をすれば「人生において満足は続かない」となります。大学に合格したとか、就職が決まった時には、喜びも満足もありますが、それが続かないということです。目指していたものを手に入れたり、また立場についたりしたとしても、一度手に入れるとそれは本人にとっては「当たり前」のこととなってしまい、満足感は薄れていきます。

ではなぜそうなってしまうのかと言えば、大きな要因の一つが「無常」です。仏教では「諸行無常」といって、あらゆるものは常に変化を続けると教えられています。手に入れたい物も、最初に手に入れた時は新品でも使っていくうちに古くなったり、壊れることがあります。そして、私の心もまた常に変化を続けていきます。煩悩の一つの「貪欲」というのはその代表的なものです。何かを手に入れても、それに満足することができず、もっともっとと際限なく欲するのがこの貪欲というものです。

相手も自分も変わり通して「これでもう十分満足だ」となかなか言い切れないのが人間の姿です。そうして人生は過ぎていくので、「人生は苦なり」といわれます。

そういう状態から、出て離れる道を教えられたのが仏教です。この仏教をどうか聞いて下さい。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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