【仏教ブログ】病気になったらどんな気持ちになりますか?(御文章「秋去り春去り」の続き)

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

前回の蓮如上人の書かれた御文章4帖目13通「秋去り春去り」について、もう一つ引用してみます。

蓮如上人はこの御文章を書かれた当時は84歳、しかもいろいろな病気にかかり体調も思わしくありません。

そこで病気のことについてこのように書かれます。

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これによりて法然聖人の御ことばにいはく、「浄土をねがふ行人は、病患を得てひとへにこれをたのしむ」(伝通記糅鈔)とこそ仰せられたり。

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法然聖人のお言葉に「浄土を願う行人は、病気になるとこれを楽しむ」というのがあります。

普通は、病気になると「死ぬのでないか」「死ぬのは困る」と思うのですが、「浄土行きが定まった人」は病気を楽しむのだといわれます。「いよいよお浄土に参れる時が近づいた」という意味でいわれています。

しかし、自分はそうではないと蓮如上人は続いて以下のように書かれます。

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しかれども、あながちに病患をよろこぶこころ、さらにもつておこらず。あさましき身なり。はづべし、かなしむべきものか。さりながら予が安心の一途、一念発起平生業成の宗旨においては、いま一定のあひだ仏恩報尽の称名は行住坐臥にわすれざること間断なし。

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しかし、この私(蓮如上人)は病気を喜ぶ心はまったく起こらない、浅ましい我が身であると恥ずかしく、悲しく思います。とはいえ、私の信心については、平生に往生が定まり、仏恩報謝の称名念仏は、いつでもどこでも忘れず称え続けております。

病気になった時、どんな気持ちになろうとも、信心決定の上で往生は一定という点は変わりません。

今年はコロナ禍で、病気を恐れる一年でしたが、「病気にかかったらどうしよう」「かかった時の心構え」も大事ですが、一番大事なのは、どんな病気にかかり、どんな気持ちになっても浄土往生を遂げる身になることです。

今年はいろいろあったけれども、一番は私の浄土往生がさだまったことだとお互いいって来年を迎えたいところです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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