【仏教ブログ】「既読のつかないSNS」(クローズアップ現代)と御文章
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
前回、御文章は阿弥陀仏から私に宛てた手紙だということをお話ししました。
しかし、当の私たちは「昔の人に宛てた手紙なのだろう」とか「家に有るけど読んだことはなかった」という人も多いかと思います。
とはいえ、御文章は五帖御文章でも80通あります。それ以外にも全部で200通以上の御文章が残されています。それだけ、繰り返し書かれたのはそれだけ伝えたいことがあってのことです。
どうしても伝えたいことは、相手が読むか分からなくでも送ってしまうという話の例として、クローズアップ現代プラス(NHK放送)から紹介します。
既読のつかないSNS ~テクノロジーでよみがえる“命”~ – NHK …
亡くなった家族や友人が使っていたSNSのアカウントに、死後もメッセージを送り続ける人たちが増えている。なにげないできごとを報告したり、生きていたときに伝えられなかった思いを吐露したり‥「既読はつかないけれど、スマホの中で生きているみたい‥」(2020年7月22日放送)
番組ではLINEに、メッセージを送り続ける家族や友人の姿が紹介されています。もちろん相手は亡くなっているので、どれだけ送っても「既読」はつきません。それでも、「本当は言いたいことを伝えられなかった」と言って送り続ける人がいます。
御文章が繰り返し書かれたのも、私に言いたいことがまだ伝えられていないと阿弥陀仏が思われているからです。
では、阿弥陀仏は何を伝えようとされているのかを、葬式などでも読まれる「白骨章」の最後の部分から紹介します。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。(白骨章)
人間世界の儚いことは、死ぬ順番が年齢で決まっていないところです。いつどうなるか分からないから、どんな人も早く後生の一大事という、生死の問題を解決して、迷いを重ねるのではなく後生は浄土に往生するという人生における最も大事なことを心にかけて、その後生を助けるという阿弥陀仏にまかせて、念仏を申しなさいと言われています。
LINEも未読が沢山たまっていたら、何か余程の用事だと思って開くのではないでしょうか。阿弥陀仏からの通知は、御文章という形届いています。
読まれたことのない方は、一度読んでみて下さい。
―――――――――――――――――――――――――――
宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。