【終活通信】徒然草___僧侶と終末期医療…そして死

光顔寺越乃國阿弥陀堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、終活プランナーのKTです。

50年前に教室で学んだ記憶とともに、過ぎた学生時代の京都の思い出と現役時代に尋ねた岩清水八幡を重ね思うとき、先人の言葉がつくづく身に沁みます。終活の勉強をして感じることは、その道の本当のプロは誰かということを学ぶこと。今日見た、地元のテレビ番組で終末医療がようやく地方でも話題となっていると、地元総合病院の医院長の談が紹介されていました。自分の死をどのように迎えるかの医療、自分の死をどのように送るかの葬儀、自分の死をどのように遺族に伝えるお墓、ひっくるめて、そんなアドバイスをトータルに出来るのは決して終活plannerではなく、究極は『僧侶」にあるとの確信で、仏門の住職との触れ合いを大切に日々の仕事に励んでいます。究極、死を語れるのは、宗教を学んだ「僧」でしかない。今の自分自身の結論です。将来的には変わるかもしれませんが。

  さて、中学時代のかすかな知識の記憶を手繰り寄せれば
すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。 仁和寺(にんなじ)にいる僧が、年をとるまで、岩清水八幡宮(いわしみず はちまんぐう)を参拝しなかったので、(まだ参拝してないことを)残念に思ったので、あるとき(参拝しようと)思い立って、たった一人 …

 

中学校国語 古文/徒然草 – Wikibooks
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