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七尾市方面からの納骨堂のご利用・墓じまいについて2022年03月31日 12:03

能越道の無料化以降、七尾市はじめ能登方面からご納骨・葬儀法要・法話のご縁をいただくことが多くなっております。

(七尾方面から当納骨堂への最寄りインターは能越道福岡インターです)

そこで納骨堂のご利用に関して、七尾市民や七尾市内に墓地がおありになる方の納骨堂のご利用の流れを記させていただきます。

※一般の納骨堂ご利用の流れ

1)光顔寺納骨堂のご契約(納骨予定者様が生存中・死後を問いません)

2)クーリングオフ期間後の日程で納骨法要のご予約

3)埋葬許可証(火葬証明書)とご遺骨を持参され、納骨

※墓じまいを伴う納骨堂ご利用の流れ

墓地や納骨堂などに埋蔵・収蔵されている焼骨や遺体を、他のお墓へ移動することを「改葬」といいます。市内の墓地などから他のお墓へ改葬する場合は、市へ申請の手続きを行い、許可を受けなければなりません。      (墓地、埋葬等に関する法律第5条)

1)光顔寺納骨堂のご契約

2)光顔寺納骨堂から受け入れ証明書を発行

3)七尾市市民生活部環境課(電話番号:0767-53-8421)に光顔寺納骨堂の受け入れ証明書を添付し、改葬許可申請をする

4)七尾市より改葬許可証を受け取る

5)墓じまいの業者様の選定&契約

6)墓じまいの法要を行う(菩提寺がない方は光顔寺に依頼することもできます)

7)クーリングオフ期間後の日程で納骨法要のご予約

8)改葬許可証とご遺骨を持参され、納骨

(墓じまい業者様が遺骨を持参する場合は事前に日程連絡をお願い致します)

参考: 墓地、埋葬等に関する法律 (リンク)

【仏教ブログ】卒業ソング「さよならぼくたちのほいくえん」から人生卒業後の姿を思う2022年03月20日 00:03

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

卒業式によく歌われる卒業ソングというものがあります。

昔からよく歌われるのが「仰げば尊し」「蛍の光」「贈る言葉」ですが、最近では「3月9日」などいろいろな曲が歌われています。

どの曲も、これまでの歩みを振り返り別れを惜しみつつエールを送る内容となっています。

その中で、幼稚園保育園でよく歌われる「さよならぼくたちのようちえん(ほいくえん)」はそれらと

はまた違った内容となっています。

これまでの生活を振り返る内容に続き、

「さよなら ぼくたちのほいくえん ぼくたちの遊んだ庭

 このつぎ遊びにくるときは ランドセルの一年生」

と歌います。

いろいろな卒業ソングの中で、「このつぎ遊びにくる」というのは珍しいと思います。それも今度は幼稚園児ではなく、ランドセルの一年生になってまた来るというものです。

幼稚園を卒業した子供は、間違いなくランドセルの1年生になることからこういう明るい未来を歌詞にしてあるのだと思います。

私の人生の卒業には、それまでの人生を振り返り、別れを惜しむことも大切ですが、「このつぎ遊びにくる」といえるようなものであって欲しいと思います。

浄土真宗では、浄土に往生された方は必ずほとけのさとりを開きます、その後は、親兄弟、妻子を済度するためにそれらの人のいる世界に帰ってくると言われます。

そのことを歎異抄にはこのように言われています。

ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと

(歎異抄5条)

たとえ亡き父母がどんな世界でどんな姿に生まれていたとしても、そこまでいって再度するのだと言われています。

この世と別れるのは名残惜しくても、浄土に往生すると速やかに仏となってまた衆生済度に還ってくることを還相回向の働きと言われます。

生きているあいだに浄土往生する身になって頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】人生の卒業式2022年03月05日 00:03

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

3月は卒業のシーズンです。全国の幼稚園保育園、小中学校、高校大学で卒業式が行われます。

卒業式はお別れの行事なので、送る側も送られる側も色々と感慨深いものです。

自分が成長し、子供の親ともなりますと、子供の卒業式に出席し、送る側として過ごすようになります。その子供も社会に出ると卒業と縁遠くなるかもしれません。

しかし私の人生で考えると、人生の卒業に当たるのが、私の臨終であります。小学校なら6年間と決まった期間で卒業となります。それに対して人生はそのように決まった年数はありませんが、それでも寿命を迎えると人生の終わりになりす。これが臨終と言うものです。お葬式は人生の卒業式と言ってもいいかもしれません。

その意味では、歳を重ねるといろいろな人の人生の卒業式に立ち会うことになります。しかし、いつまでも見送られるばかりではありません。やがて自分が見送られる時が来ます。それが私の命が終わる時、私が臨終を迎える時です。

自分の卒業式では、その後の進路がはっきりしているときは明るい気持ちで迎えられますが、はっきりしていない時は不安になるものです。高校の卒業式では、大学合格発表待ちの人もあり、未来に対して不安な気持ちで卒業式を迎えることになります。

それでは、私の人生の臨終にはどんなことを思うでしょうか。

歎異抄第9条にはこのような親鸞聖人のお言葉があります。

なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。(歎異抄9条)

なごりおしく思うことがあったとしても、この世との縁が尽きて命が終わるときには、阿弥陀仏の浄土に参らせてもらうのだと言われています。

人生の卒業となったとき、いろいろと名残惜しく思う事はあっても、行くべきところは阿弥陀仏の浄土であるという身になって頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。