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【仏教ブログ】あれから10年を振り返って2021年03月11日 02:03

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

東日本大震災から10年立ちました。歳を重ねるごとに、10年という年月を聞いても、つい最近のことのように感じられます。これから先の10年は過ぎてみたらもっと短く感じることでしょう。その間、自分自身は何も変わらないまま時間だけが過ぎているのではもったいないことだと蓮如上人は言われています。

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前回紹介した御文章を少し前の部分も含めて紹介します。

それ、つらつら人間のあだなる体を案ずるに、生あるものはかならず死に帰し、盛んなるものはつひに衰ふるならひなり。さればただいたづらに明かし、いたづらに暮して、年月を送るばかりなり。これまことになげきてもなほかなしむべし。このゆゑに、上は大聖世尊(釈尊)よりはじめて、下は悪逆の提婆にいたるまで、のがれがたきは無常なり。しかればまれにも受けがたきは人身、あひがたきは仏法なり。(御文章3帖目4通)

人間のはかない姿をよくよく考えてみると、生きているものは必ず死んでいき、若いものも最後は衰える習いである。だからただ虚しく夜明けを迎え、ただ日が暮れて、一ヶ月一年と日を送るばかりである。どんな人も死を逃れることはできない。

そんな中、なかなか人として生を受けることできない、また仏法を聞くことはさらにないことである。と言われています。

ここで「いたづらに明かし、いたづらに暮し」と言われているのは、「何もせずにぼーっと生きている」ということではありません。例えば、東日本大地震から10年間を振り返るとそれぞれ色んなことがあり、そこで時には笑い、時には泣いてきたことと思います。しかし、よくよく考えてみるとただ歳を重ねた以外には何も変わらない自分がいるのではないでしょうか。

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年を重ねること自体は自然なことですが、問題はいつまでも生き続けることは出来ないということです。死んでどこへ行くかも分からないまま命を終えても、それで終わりではないと仏教では教えられています。それを生死流転とか、流転輪廻といわれます。いろいろな姿に生まれては死にかわりを繰り返し、それに際限がない状態です。

その生死から離れる道を教えられたのが仏教です。浄土真宗では、生死を離れ、浄土に往生し仏になることが、阿弥陀仏の救いだと教えられています。その救いにあう人生は、いたづらに過ぎるものではなく、有り難いものに変わっていきます。どうかこの教えにあって頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】東日本大震災から10年 無常について2021年03月01日 12:03

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

東日本大震災からこの3月で10年になります。この記事を読まれている方の中にはご本人あるいはご家族や友人、知人で被害に遭われた方もあると思います。当事者の方には、改めてお見舞い申し上げます。

仏教では諸行無常と教えれていますが、それをまざまざと知らされたのが東日本大震災でした。この10年間の間にも、大規模な津波こそないものの、地震や台風などの自然災害は相次いで起きています。

こうすれば大丈夫と思っていても想定していないことが起きます。改めてそのことが読売新聞2021年2月26日付朝刊に掲載されていたので一部紹介します。

岩手県下閉伊しもへい郡田老町は、1896年の明治三陸津波で1859人の命が奪われ、1933年の昭和三陸津波でも911人が犠牲になった町でした。

二度と犠牲を出さないために、町は巨大な防潮堤を建設しました。

以下読売新聞より。

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78年度に、高さ約10メートル、全長約2・4キロの巨大なX字形の防潮堤が完成した。「夜でも逃げやすいように」と、街も碁盤目状に造り替えられ、山際には避難階段が整備された。年1回の避難訓練にも力を入れ、ハード・ソフト両面で防災対策を講じてきた。

 国内外の研究者たちから注目を集める町になった。防潮堤は、いつしか万里の長城と呼ばれるようになった。

https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210221-OYT1T50124/

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しかし、昭和三陸津波から78年後の東日本大震災では、津波によって181名の犠牲者がでました。その中には「防潮堤があるから大丈夫」と考えて避難をしなかった人もおられたそうです。

その中の一人、佐々木正夫さん(当時82歳)は防災行政無線が津波の高さを3メートルと知らせたのを聞いて避難することを拒否しました。

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 「高台に行くべし」。トモさんは再三説得したが、正夫さんは玄関に座ったまま、「防潮堤を越えるわけがない」と腰を上げようとしない。腕も引っ張ったが、「うるさい」と腕を振り払われ、扉を閉められ鍵もかけられてしまった。(読売新聞より)

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正夫さんは約3週間後、津波で約130メートル流された自宅の中で見つかったとのことでした。

とっさのときの判断と行動の違いで。生きるか死ぬかの違いが分かれてきます。しかし、災害を逃れることができても、死ななくなったのではありません。どんな人にも必ずやってくるのでそのことを忘れてはならないと蓮如上人は御文章に書かれています。

このゆゑに、上は大聖世尊(釈尊)よりはじめて、下は悪逆の提婆にいたるまで、のがれがたきは無常なり。しかればまれにも受けがたきは人身、あひがたきは仏法なり。(御文章3帖目4通)

お釈迦様から、お釈迦様の命を狙った提婆達多まで世の無常から逃れることはできません。どんな人にも例外なくこの世の命は終わりを迎えます。しかし、人間に生まれるということはなかなかないことです、そして生死を離れる道を教えられてのが仏法ですがその教えにあうこともなかなかないことです。

聞くご縁のある人は、そのご縁を大切にしていただきたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。