【コロナ関連情報】納骨堂の参拝・内覧は通常通り行えます2020年09月18日 01:09
コロナウイルスの状況によりお問い合わせが増えております。
光顔寺では、2020/02/26以降の集会行事を延期または中止しておりますが、
納骨堂を必要とされる方の為、参拝や内覧会の日程に変更はありません。
尚、内覧ご希望の方は 0766-73-8756 迄、事前ご予約をお願い致します。
(密を避けるための対策を行っております)
体調にご留意の上、お越しください。
合掌 称名
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光顔寺では、2020/02/26以降の集会行事を延期または中止しておりますが、
納骨堂を必要とされる方の為、参拝や内覧会の日程に変更はありません。
尚、内覧ご希望の方は 0766-73-8756 迄、事前ご予約をお願い致します。
(密を避けるための対策を行っております)
体調にご留意の上、お越しください。
合掌 称名
前回に続き、中秋の名月にちなんで、月に関する仏教の話を紹介します。
闇を照らす月の光を、仏の智慧の働きを喩えていわれたものに「月愛三昧(がつあいざんまい)」というのがあります。
涅槃経に
世尊大悲導師、阿闍世王のために月愛三昧に入れり
と説かれています。
「月愛三昧」の言葉の意味を、浄土真宗辞典から引用します。
釈尊が阿闍世の身心の苦悩を除くために入った三昧の名。きよらかな月の光が青蓮華を開花させ、また夜道を行く人を照らし歓喜を与えるように、仏がこの三昧に入れば衆生の煩悩を除いて善心を増長させ、迷いの世界にあって、さとりの道を求める行者に歓喜を与えるという。
お釈迦さまの時代に、阿闍世王という王様がいました。この阿闍世王は、父の王を殺害し、母親も殺害未遂のところまでした人間です。そうして王位についたのですが、しばらくして父親を手にかけた罪悪感から、身心に大きな苦しみを受けることになります。
その苦しみを除く為に、お釈迦さまは阿闍世王のために月愛三昧に入られました。それが契機となり、阿闍世王はお釈迦さまに帰依して仏教を聞き求め守護するようになりました。
太陽の光も、月の光りも同じ光ではありますが、その性質は大きく違います。太陽の光がなければ、動物も植物も生きていくことは出来ません。しかし、太陽の光は強すぎて直視することはできません。また、今年も大変な猛暑となりましたが、太陽の光が強すぎると、人の命も奪うことがあります。
それに対して月の光は、月見という言葉もあるように月の光を眺めて楽しむことが出来ます。また、月の光は闇夜を照らし、あらゆるものを優しく照らして奇麗に見せてくれます。
いろいろな迷い苦しみにある人も平等に包むように照らして下さるのが月の光です。闇の中を照らして私に道を示して下さいます。迷いの中にあっても、そこから出て離れるように呼びかけて下さっていると月の光を見て見ませんか?
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。
光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。
猛暑が続いた8月も終わり、9月は中秋の名月が見られる時です。今年のコロナ禍で、春の花見もできなかったという人も多いでしょうが、月見は家からでも出来ますので月を眺めるものいいと思います。
仏教では月や月の光を何かに喩えられることがしばしばあります。
法然聖人の詠まれた歌に以下のものがあります。
月かげのいたらぬさとはなけれども
ながむるひとのこころにぞすむ
ここで「月かげ」といわれているのは「月の光」のことです。
月の光が届かないところはないけれども、月は眺める人の心にこそ宿るものだという歌です。
現代のように街灯も、コンビニも無い時代に暗闇を照らしてくれるのは月の光でした。月の光は暗い道を歩く人に、とても安心を与えてくれる光を放っています。
私の無明の闇を照らして下さる月の光とは、阿弥陀仏の救いの働きです。仏や菩薩の身心にそなわる光のことを光明といいます。迷いの闇を破って、真理を表す智慧の象徴するものとして使われる言葉です。
阿弥陀仏が私を救う働きは、丁度月の光がどこへでも届いているように隔てがありません。差別もありません。それならば、どんな人もすでに救われていてもよさそうですが、現実はそうなっていません。
そのことを「ながむるひとのこころにぞすむ」と詠まれています。
月が空に上って光を放っていても、月を見ない人には「きれいな月がでているな」と思うことはありません。今で言えば、夜道を歩いていたとしても、スマートフォンの画面を見続けているような状態では月を見ることはないでしょう。
すでに私に向かって照らして下さる月の光は、眺める人の心にこそ宿るように、阿弥陀仏の救いの働きは、その救いを仰いで受け入れる人に宿ります。
その光とは具体的には南無阿弥陀仏となって私に呼び掛けられています。その南無阿弥陀仏を称え聞いて阿弥陀仏の救いに疑いない人に、信心となって宿ります。
満月を眺める時には、阿弥陀仏の光明だと思って眺めてみてください。
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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)
Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。