アーカイブ

【仏教ブログ】成人の日に読みたい金子みすゞの「さびしいとき」2020年01月15日 00:01

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

1月半ばになると、成人式が各地で行われニュース報道で、あるいは親戚や知人の話で見聞きします。

成人とは、一人前の人間になったことを意味する言葉です。

私も成人を迎えた頃は、これで自分も一人前だと思っていました。しかし、成人式を経て随分と年月を重ねてみても自分が一人前の人間になったかと問われれば、そうではないという他はありません。それは、一人前の人間というイメージは、一人で立ってなんでも生きていける人間を想像するからです。

確かに、年を重ねると自分で自分の生活を建てていかねばなりません。それでも、心の拠り処なしには人間は生きていくことはできません。

そこで今回は、詩人・金子みすゞさんの「さびしいとき」という詩を紹介します。

さびしいとき

わたしがさびしいときに、よその人は知らないの。

わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。

わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。

わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。

生きているととさびしいと感じる時があります。そんな時に、自分と縁のない他人はそんなことは知りません。友達は、さびしいときにいつも共感してくれるわけでなく、そんな気持ちも知らずに笑っています。お母さんは、さびしい気持ちを察して優しくしてくれます。最後に、仏様は一緒にさびしい思いになって下さるという詩です。

経済的に自立していくようになると、何でも一人で出来るような気持ちになる時もあります。しかし、食べて行きけるようになっただけで、誰の支えも必要ないような立派な人になったということではありません。さびしき時に心の支えになる人もありますが、ともにさびしい心になって下さるのが仏さまです。

人の苦しみを、自分の苦しみとして感じて下さるだけでなく、その苦しみを何とか抜いてやりたいというのが仏さまの慈悲という心です。自分で気がつかなくても、そういう仏様の慈悲に支えられて生きているのが私たちです。そういう意味ではいつまでも成人とはならず、支えられて生かされていくのが私というものです。

成人の日を迎える方も、すでに成人の方も、自分を支えて下さる存在に目を向けて頂きたいと思います。

―――――――――――――――――――――――――――

宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

【仏教ブログ】蓮如上人の年始の挨拶は「念仏申さるべし」2020年01月01日 00:01

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

年が明けて、年始の挨拶をお互いするときに「明けましておめでとうございます」「今年も宜しくお願いします」と言う方が多いと思います。

浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如上人(1415〜1499)はそうではなかったことが、御一代記聞書に書き残されています。御一代記聞書とは、蓮如上人の言行録として後に書き残されたものです。

その最初に以下のように書かれています。

「一 勧修寺村の道徳、明応二年正月一日に御前へまゐりたるに、蓮如上人仰せられ候ふ。道徳はいくつになるぞ。道徳念仏申さるべし。」

道徳というのは、蓮如上人からお話しを続けて聞いている門徒の方です。明応二年の元旦に蓮如上人のところへ行って年始の挨拶に伺ったところ、蓮如上人がこのように言われました。

「道徳は、今年で何歳になった?道徳、念仏を称えなさい」

この頃は、年が変わると年齢が一つ増えるので最初の「道徳はいくつになるぞ」は私たちでもよく使います。年始にあった親戚の子供や孫に「何歳になった?」と聞く人も多いと思います。

しかし、蓮如上人は「念仏を称えなさい」と言われています。こう聞くと、「正月早々念仏とは……」と思う方もあるかもしれません。それは念仏について葬式や法事の時のイメージが強いからだと思います。

ここで蓮如上人は念仏について、自力の念仏と他力の念仏について続けて話をされています。まとめて書きますと、自力の念仏とは念仏を称えることでなんとか仏様に助けてもらおうという祈願の心でするものです。それに対して他力の念仏とは、阿弥陀仏が助けるとの仰せを聞き入れた上で、助けていただいた有り難さ尊さを喜んで申すものです。そのまま臨終まで続いて、浄土往生をするものが他力の念仏です。

私たちが日ごろ称える念仏は、どちらの念仏でしょうか?蓮如上人は、他力の念仏を勧めておられます。そのことが、よく分かるのが今回紹介した御一代記聞書です。

「年始早々」という言葉は、正月くらいはいろんなことはお休みしましょうという意味で使われますが、蓮如上人には年末も年始も変わらず「念仏申さるべし」と思い続け、勧めておられました。そのため年始早々から「道徳、念仏申さるべし」で挨拶をされています。

そのように、阿弥陀仏に助けて頂いて、有り難いことだと念仏申す身になって頂きたいと思います。

―――――――――――――――――――――――――――

宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。